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夏合宿 北アルプス縦断 [後編] (2016/8/23-8/29)

 2016-09-24
メンバー

通期隊
CL:益田(B3)

後半隊
CL・医療:尾崎(B3)  SL・記録:梅田(B2)  食当・気象:中沢(B2)・斎藤(B1)



筆:梅田




◆行程◆

0日目(8/22)
【大岡山→信濃大町23:59】

1日目(8/23)
【信濃大町→扇沢7:25…種池山荘11:25…冷池山荘13:45】

2日目(8/24)
【冷池山荘3:30…鹿島槍ヶ岳5:15…キレット小屋7:00…五竜岳12:40…五竜山荘13:30】

3日目(8/25)
【五竜山荘6:30…唐松岳頂上山荘8:30】

4日目(8/26)
【唐松岳頂上山荘4:30…唐松岳4:40…不帰2峰北峰5:20…不帰ノ嶮5:55…天狗山荘8:55…村営白馬岳頂上宿舎11:45】

5日目(8/27)
【村営白馬岳頂上宿舎6:20…白馬岳6:50…雪倉岳9:50…朝日小屋12:45】

6日目(8/28)
【朝日小屋4:30…朝日岳5:10…吹上げのコル5:40…黒岩山…サワガニ山…犬ヶ岳11:00…栂海山荘11:05】

7日目(8/29)
【栂海山荘4:30…白鳥山7:30…坂田峠9:00…尻高山9:50…日本海11:30】







待ちに待った夏合宿である。もともと私は前半から参加する予定だったが、体力の心配から後半だけの参加とした。また、後半も継続する予定だった田中と山田が帰京したため、5人パーティとなった。




・0日目(8/22) 雨のち晴
食料の準備のため、14時頃部室に集合する。台風の影響で暴風雨で、中央本線は高尾〜塩山で運転を見合わせていた。食料の準備も共装分けも済み、出発する頃になっても依然運転を見合わせていた。心配していても仕方がない。とりあえず信濃大町へと出発。

高尾駅に着くと、現在運転再会に向け安全確認中とのこと。運の良いことに20分ほどの待ちで運転が再会され、歩を進めることができた。このまま行ければ良いのだが、甲府駅から先もダイヤが乱れており、松本行きがいつ来るか分からないとのこと。ぼーっとしたくない我々は夕飯を食べようと改札内の蕎麦屋さんに入りお腹を満たす。
しばらくマッタリして外に出ると、松本行きが間もなく発車するとの放送が…。ギリギリで駆け込み、事なきを得た。
無事信濃大町に着き、寝床を探していると、近くの公衆便所の屋根の下で寝ている益田さんを発見。コンビニで朝食を調達し、眠りについた。




・1日目(8/23) 曇のち晴
5時半頃起床。各自朝食を済ませ、扇沢行きバス乗り場へと向かう。ところで扇沢の読み方、私はずっと「おうぎさわ」だと思っていたが、ローマ字曰く「おうぎざわ」が正しいらしい。読み方は難しいものだ。
バスに揺られ扇沢に着くと、同日に入山する「岩パ」の橋本さん、松本、山本の3名がいた。互いの健闘を祈り、彼らはトロリーバスへと、我々は柏原新道へと向かった。
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[柏原新道入口にて]


昨年の合宿では北アルプスを上高地から室堂まで縦走した私だが、その時は生憎の雨続きだった。しかし今日は晴れている。そのことに胸を躍らせ、ウキウキと登った。
…が、バテた。心持ちとバテは関係ないようだ。心の中でヒィヒィ言いつつ、11:25頃種池山荘を通過。しばらく歩き、差し入れ消化も兼ねた大休止を取った。まずは大森からの差し入れを開けてみるが、「テン場で開けてね」と書かれていたこともあり、お預けとなった。気を取り直して八木さんからの差し入れを開ける。『chili beer』と書かれていた。ふむ、ここで飲むわけにもいかず、形からカルピスと自信を持って言える野口さんの差し入れを消費することにした。濃いめにつくったグレープ味のカルピスは、疲れた体に沁みた。
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[広いところで差し入れを消化する]


カルピスで喉を潤した我々は、爺ヶ岳南峰を取り、冷池山荘に到着した。が、私は疲れ切っており、熱中症と思われる症状があったため、他のメンバーがテン場に行くのを見送り、小屋の前のベンチで暫く休憩させてもらった。とはいえ日陰が全くない暑い中吐き気が治るはずがない。石油と書かれたドラム缶の陰に身を縮めて入り込み休憩する。
吐き気も落ち着いたところで私もテン場に向かう。中村さんからの事前情報では、小屋からテン場までが辛いらしい。覚悟して出発するとすぐ、情報で人の話し声がする。なんだテン場近いじゃないかと5,6段登って行くと、狭い広場に机とベンチが置かれているだけだった。4,5名の方が盛り上がってる中に入って行って目が合ってしまったため気まずくなり、すぐに撤収した。結局、これでもかというくらい登らされ、テン場に着く頃にはヘトヘトになっていた。小屋から時間にして10分程度である。トイレや水場がテン場にあるなら許せるが、小屋まで行かなくてはならないのが非常に辛いテン場だった。
時間も早かったので各々好きなように時間を過ごした。中沢と私は外で行動食を食べながらゴロゴロして快適テン場ライフを堪能した。
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[快適テン場ライフを堪能する私と空。あまりにも気持ちが良かったので撮ってしまった。]

そういえばと大森からの差し入れをチビチビ飲む。すごく美味しい。今月の初めに丹沢に日帰りで行った際にも大森はオリジナルブレンド(?)の美味しい飲み物を差し入れしてくれた。恐らく今回もオリジナルブレンドであろう。今度レシピを教えてもらいたいものだ。夕飯に少し味の薄い豚丼を食し、眠りについた。




・2日目(8/24) 晴のち曇
合宿2日目。この日、私は死を覚悟した。
2時に起床し、朝食のラーメンを食べる。少し量が多かった気がする。3時半に行動開始し、5:15頃鹿島槍ヶ岳のピークに達した。道標に「皆さん頂上の道標を入れて記念撮影をしますので周囲はあけて下さい」とあったので、記念に道標入りの自撮りを行い、ここまでは順調であった。
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[鹿島槍ヶ岳頂上にて]

しかしここからが本日の核心部、八峰キレット様である。我々は現地で「はっぽう」、「やつみね」などと読んでいたが、正しくは「はちみね」らしい。昔この地で猟をしていた「八さん」に由来するようだ。山の地名は難しいものだ。八峰キレットは日本三大キレットのうちの1つで、それを聞いただけでも怖そうである。
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[徐々に道も険しさを増す]

さて、今山行でキレットを楽しみにしていた私は、ここでウキウキになれば良かったのだが、疲れていたため恐怖が勝ってしまった。過去に先輩から「クライマーは臆病な方が良い」と言っていたのを思い出し無理矢理動くが、怖い。クライミング班で岩の扱いには慣れているつもりだったが、ザックが重いのとクライムダウンでは話が違ってくる。私はクライムダウンがとても苦手なのだ。鎖の支点を見ると立派なハンガーボルトだったため、怖いところでは遠慮なく使わせてもらった。こういうところでは「落ちたら死ぬ!!」が合言葉である。逆に言うと落ちなければ死なないのだ。そうなれば落ちない工夫をすれば良いだけである。ちなみにこの合言葉は、酷道こと国道157号線で使われているものだ。後日テント内でこの話をしたが、皆興味なさそうであった。
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[八峰キレット。幻想的な雰囲気だ。]

そして私は死を覚悟した。斜めにクライムダウンしている際、少し足元を疎かにしてしまい、滑らせてしまったのだ。両足とも。鎖を持っていたから助かったが、仮に強がって手も岩を支えにしていた場合、全重量を支えきれたかは疑問である。とにかく命拾いはした。鎖様々である。
そんなこんなでキレット小屋まで下りてきて休憩を取る。正直な感想は「よくこんなところに小屋を建てたものだ」というもの。山家はキチガイが多いのだろうか…?
その後はバテバテになりながらも五竜岳を取る。ペースが遅かったことから今日の行動を五竜山荘で打ち切ることが決定したため、長めの休憩を取った。そこで藤井さんからの差し入れを開けることになった。出発前に散々悩んで『塩って大事』を頂いてきたが、中身はリッツチーズサンドとトマトバジルソースであった。本当に塩って大事である。そのままで食べても美味しいが、ソースを付けて食べてもピザのような風味が口一杯に広がって美味しかった。〈チーズ×トマト×バジル〉は最高である。
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[リッツチーズサンド、美味しい。]

行動を再開し五竜山荘に向け下って行く。と、20分ほど経った頃1人の男性に遭遇する。「五竜山荘まだですかね…もう1時間も歩いてるのに着かなくて…」確かピークで「今から下ります。30分ほどで着きます」みたいな電話をしていた方だ。時間かかりすぎではないか、など色々な疑問は浮かぶが、その男性を最後尾に付けて10分ほどで五竜山荘に到着した。
ここ五竜山荘で一番記憶に残っているのは、トイレである。別にトイレは普通の山のトイレといった感じで問題ないのだが、トイレの脇にボイラーだか機械が置かれており、そこから発せられる熱風に乗ってトイレの臭いが周囲に撒き散らされていた。この手の臭いが大の苦手な私にとっては試練であった。
さて、テン場に着いたので、今日は八木さんの差し入れを消化することにした。chili beer。上には〈Very Hot & Spicy〉の字が…。どう考えても辛い飲み物である。なんと唐辛子が丸々漬けられているではないか。インパクト大である。後から辛さが来るタイプのようだ。そもそも唐辛子も辛いのも苦手な私にはギブアップだった。
外で行動食を食べながらゴロゴロしていると、いつの間にか寝てしまっていた。寒くて目を覚ますと、16:30。ヤバい。もうみんな夕飯を食べているのではないかと焦ってテントに入ると、まだ作っている途中だった。安心するも夕飯の準備の手伝いをしなかったことに罪悪感を感じた。夕飯はシチューで、今日はウインナーの日のようだ。贖罪のつもりでウインナーの本数が1本少ない人になり、美味しく頂いた。やっぱりウインナーはシャウエッセンである。




・3日目(8/25) 晴のち曇
今日は昨日打ち切ってしまった行程の消化なので、超が付くほどのゆとり日となった。実質行動時間にして2時間である。
そういうわけで朝もゆっくり5時起床。相変わらずのお茶漬けを掻き込み、6時半に出発。もう外はすでに明るい。
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[珍しく、朝日を浴びるテン場を見下ろす。]

少しだけ「落ちたら死ぬ!!」な場所を通過し、特に何事もなく8時半頃唐松岳頂上山荘に到着した。途中すれ違った男性に「赤いのがよく目立ってたよ」と言われ、少し嬉しかったくらいだ。何故「頂上」を唄うのか疑問であるが、なかなかに良い場所であった。テント泊者も小屋内トイレを使うことができるのだ。水が要煮沸なのが難点だが、トイレが全てを勝に変えてる気がした。それにしても、五竜山荘もそうであったが、このエリアのテン場は段々畑みたいなところが多いのだろうか。小屋に行くのに高低差があり疲れる。
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[「落ちたら死ぬ!!」な場所を通過する。]

ゆとり日は楽で良いが、早く着きすぎても暇で仕方がない。益田さんは明日の予習にと不帰キレットの下見に行き、残った4人で暇を持て余した。風もなく直射日光が当たるテン場は暑かったが、私はとりあえず行動食を貪り食べた。
12時頃から明日の行動用水10Lの煮沸作業にかかった。そういえば益田さんはいつ帰ってくるのだろうか、不帰キレットで不帰の身となってないだろうかなどと思いながら作業していると、地元中学生が3,40人くらいの大群で小屋に到着した。手を振ってきた女子生徒に手を振り返したり、ヤッホーと叫んできた男子生徒を無視したりしていると、やがて益田さんが帰ってきた。そして中学生の引率者と話してくると言い残し、益田さんは小屋の方へと向かった。その後団体が唐松岳を往復してきても帰ってこなかったため、絶対益田さん一緒に行ったななどと話していたが、腹を壊していただけらしい。それにしても、数十人の人が登山道を列をなして歩く姿は正直気持ちの悪いものだった。彼らは今夜は小屋泊だろうが、中学生で小屋泊は贅沢だとか、羨ましいだとか、今度小屋泊山行出そうかなとか色々な考え事が捗った。
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[登山道をぞろぞろと登る様は、まるで蛇のようだった。]

夕飯までにはまだ時間があったので、多めに持ってきていたベーコンを切って焼いて食べた。ベーコンすごく美味しい。今後のトレ山では生肉ではなくベーコンを持って行くべきだ、などと思いながら食べた。一緒に夏目さんからの差し入れの缶詰を開けてみる。ミカン缶だ! 個人的にフルーツ缶の中で最上位のフルーツの1つである。美味しかった。ちなみに夕飯はベーコンハヤシライスで、勿論美味しかった。
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[ベーコンは美味しい。異議は認めない。]

現地では『ハヤシライス』と『ハッシュドビーフ』の違いについて真剣に考えていたが、実際大きな違いはないらしい。ハヤシライスはトマトソースをベースにしており、ハッシュドビーフはドミグラスソースをベースとしているらしい。我々が買ったルゥは『ハヤシライス』であり、隠し味として藤井さんからの差し入れであるトマトバジルソースを入れていたので、『ハヤシライス』で正解のようだ。
今日感じた問題点、それは暇潰しのスキルが低いことだ。基本的に行動食を食べるか、ボーッとするか、寝るくらいしかやることがないのである。今日に関しては尾崎さんがクイズを出してくださったことから絶望的な状況にならずに済んだが、自由時間が長いときの対策を練る必要性を感じた。




・4日目(8/26) 晴のち曇のち雨
今日はこの合宿の核心とも言える、不帰キレット越えである。というのも、中村さんからの事前情報では一昨年の不帰キレット越えには11時間半もの時間を要しているとのことだったからだ。昨日小屋でお会いした男性からも不帰キレットの話を聞き、「人数やスキルにもよるがそこまで時間はかからない」という情報を得ていたため半信半疑ではあったが、念には念をと早めに出発することになった。また、益田さんの下見の結果最初の1時間は危険な道ではないことが判明したため、出発時間も当初の予定より早めた。結果、3時起床。今日も今日とてお茶漬けを掻き込み、4時半出発。

まだ薄暗い中、ゆっくり登る日の出見物客を追い抜きせっせと登る。ほどなくして唐松岳のピークに達する。日の出を今か今かと待つ他の登山客を尻目に通過し、不帰ノ嶮方面へと下りて行く。2日前の八峰キレットで恐怖を覚えた私は、今日も頻繁に「落ちたら死ぬ!!」と自分に言い聞かせた。明るみ始めた空の中アップダウンを繰り返し、不帰二峰北峰で休憩を取る。益田さんが日焼け止めを塗るよう指示を出すが、昨日まで日焼けを一番気にしていた中沢だけ塗ろうとせず突っ込まれていたのが印象深い。
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[日の出見物客を尻目に、不帰キレットへと下る。]

さて、明るくなった中不帰キレットに突入する。今回の合宿の目的地〈親不知(おやしらず)〉もそうだが、この〈不帰(かえらず)〉のように漢文調の読みをする地名には、どこか重厚さと格好良さを感じる。というのも、漢文調が使われていた昔からの表現が変わらずに残っている、つまりそれだけ昔から重要なことだと考えられていたと考えられるからだ。通行の難所だから名前をつける、それが重厚さを感じさせる原因だろうか。いずれにせよ、下山後に乗ることになる某第三セクター路線のような名前を付ける現代の日本人には、もうこのような名前を付ける能力はないのだろうと思うと寂しいものだ。
順調に歩を進めどんどん下る。最低鞍部を目前とし、丁度反対側を下りてくる男性を目撃した。不帰キレット上で初めての人である。少し広くなっている鞍部ですれ違いが出来そうで安心する。鞍部に到着し休憩を取る。後ろからも1人女性が来ていたようだ。また反対側からも数名下りてくるのが見えた。皆日の出と同時にキレット入りするためか、一時的に鞍部が混雑する。そして各々休憩を取り、目的地へと出発して行った。我々も出発する。
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[「白馬缶」だと言われていた不帰嶮の道標。]

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[鞍部で休憩を取る。]


途中4名のパーティとすれ違い、不帰キレットの核心部を登り終えたところで休憩を取る。簡単に書いてはいるが300mは登っている。本当に絶望的な登りだった。
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[いつまでも終わりが見えない急登。]

休憩中斎藤と、ジャンプした瞬間を撮影するという、よくあるオシャレな写真を撮ろうということになった。結果は成功。斎藤も喜んでいた。おや? 中沢もやりたそうな目でこちらを見ている。挑戦。……。………失敗。中沢らしい(?)結果だろうか。
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[成功する斎藤と失敗する中沢。]

休憩を終え、出発する。が、益田さんの様子が少し変であった。ペースがとにかく早いのだ。すぐについていけなくなり、離れる。ガスも出てきて、すぐに姿が見えなくなった。丁度真ん中の3人目を歩いていたが、前も後ろもガスで姿が見えない。とりあえず歩き、天狗山荘で追いつく。休憩を取り、全員が揃ったところで、益田さんから分隊の提案があり、益田さんと他4人でパーティが分かれることになった。計画書上も別なので問題ないとのことだった。

そんなわけで4人となった我々だが、出発すると強風に見舞われた。もともと体力もない我々は分隊を機に「ピークを取らない主義」になり、白馬鑓ヶ岳、杓子岳を巻いた。途中で葱平に下りる階段だらけの登山道が見え始め、しばらく歩くと小屋の姿が確認できた。が、そこからが登り返したり長かった気がする。そんなこんなで11時45分頃、白馬山荘より下にあるのに「頂上」を名乗る村営白馬岳頂上宿舎に到着し、テントを張る。今日は風が強く寒かったため、全員テント内で暇を持て余した。
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[「頂上」の小屋を見下ろす。]

今日の夕飯は乾燥野菜をふんだんに使ったカレーライスだ。ザ・カリーの中辛が売り切れていたため甘口と辛口をブレンドして作ったが、私には辛かった。素直に甘口だけ買っておけば良かったと後悔した。

食事を終えて暫くして、明日以降の行動についての話し合いが行われた。明日以降も引き続き分隊状態で行動するつもりの益田さんと、それは阻止したい我々。そもそもの分隊の原因は、山行で何を楽しいとするか、山に対する意識や考え方の違いであった。私が山で口癖のように言っている「辛い」や「帰りたい」という台詞も益田さんの精神を刺激していたようで申し訳なかった。大粒の雨が降ってきて、我々の心情を表しているかのようだった。結局益田さんが我々を受け入れてくださり、親不知まで5人で行くことになった。分隊が避けられ私は非常に安心し、眠りについた。が、背中に岩が当たる場所に寝たおかげで腰が痛くなり全然眠れなかった。テント設営は場所を妥協してはならないな。




・5日目(8/27) 雨のち曇
4時起床。雨が降っている。私が愛用しているウレタンマットの下や、枕として使用していたガッシャブルムの天蓋の下は水没しており、ガッシャブルム自身も水没してどうしようもないほど濡れていた。今日の朝もお茶漬けを掻き込むが、量が多いのか食欲がないのかなかなか減らない。寝不足のせいかお茶漬けのせいか気持ち悪さもあり、昨日の今日で若干の気まずさもあったが益田さんに相談すると、ビタミン剤を分けてくださった。降雨の影響で出発時間の変更が決まっていたのでゆっくり残りを食べ切り、暫く横になって安静にしていた。雨が弱まった頃には吐き気もなくなり、少し元気になった。益田さんありがとうございました。暫くして出発を決定し、各自撤収準備を進め、6時20分出発。

比較的ゆっくり歩き、6時50分白馬岳のピークに達した。この頃には雨も止み、我々のテンションも上がった。が、白馬岳を境に人の姿がなくなる。他の登山客がいないと歩きやすいが、少し寂しい気がする。
今日は比較的標高の変化が少ない道なので割と楽だ。雪倉岳避難小屋の先で3人組のパーティを追い抜く。雪倉岳以北はほぼ平坦で本当に歩きやすかった。登りは疲れるし辛い、下りは足や膝が痛いとなると、平坦が一番好きなのだ。
やがて木道が現れ始め、昨年の尾瀬1年ワンで習得した木道の滑らない歩き方を実践する。水平道分岐では、木道にデカデカと「分岐」と矢印が書かれていたことが印象に残っている。

事前の情報では水平道は水平ではないと聞いていた。確かに微妙なアップダウンはあるし泥濘もあって歩きづらいがそこまで辛くない、というのが序盤の感想である。雨が降り出し、やがて強くなった。後半戦では、思い出したかのように急な斜面を登る場面が断続的に現れ、道も悪くなってきた。それでも順調に歩を進め、12時45分、朝日小屋に到着した。
テントを張って中で和らぎを作る。濡れた装備を火に当てると蒸気を出しながら乾く。昨年の夏合宿で何度も経験したことだ。すごく懐かしい。暫くボーッとしていると、雨が止んだ。テン場の前の景色はカメラでは撮影できない美しさがあり、個人的に好きなテン場にランクインした。近くで雷鳥が3羽ほどジッとしており、間近で観察したり鳴き声を聞いたりした。
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[テン場から望む景色]

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[雷鳥]

今日の夕飯はスパム丼。スパムと玉ねぎをネギトロみたいな感じに混ぜて炒めて塩少々。ご飯に乗っけて出来上がりという、雑な山の男飯という感じの料理だったが、意外なことに美味しかった。今合宿で一番ご飯が進んだかもしれない。料理が簡単な割には、味付けの工夫次第でバリエーションも豊かになりそうで良い料理だと思う。




・6日目(8/28) 晴のち曇
今日は私にとって特別な日である。昨年は夏合宿のアプローチ日であった。今年は自宅で迎えたかったが、まさか山の上で迎えることになるとは…。そう、誕生日である。そして今日は誕生日に相応しい1日となった。数日前に確認した週間予報では27日から29日までは傘マークが付いていた。しかし今日は晴れている。なんとも嬉しい天からの誕生日プレゼントである。

そんな今日は記念すべき栂海新道(前編)である。ひたすら歩くしかないので朝は3時起床。またもお茶漬けを掻き込み、4時30分発。お茶漬け以外の朝ご飯も食べてみたいものだ。朝日岳の登りに取り掛かる。道中下界の灯りが見え、その灯りと暗闇が綺麗に分かれている一筋の線、海岸線の形が見て取れた。5時10分、日の出の少し前に朝日岳のピークに到着。丁度良いタイミングで登頂したようだ。
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[朝焼けが雲を良い感じで照らす]

5時15分頃、今合宿で初となる綺麗な日の出を朝日岳から拝むことができた。朝日岳から朝日を拝む。なかなかオシャレな展開である。ピークには他にもう1パーティおり、話すと昨日雪倉岳避難小屋付近で追い抜いた方々だった。しかも東急池上線沿線住民だというから驚きだ。息子さんが東工大の鉄研が良いとか話していたらしい。
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[合宿中発の綺麗な日の出を観測]

山頂を先に失礼して、我々は出発した。ピーク付近の道標で初めて『栂海新道』の名を目にしてテンションが一気に上がる。これを求めて扇沢から遥々歩いてきたのだ。20分ほど歩き、吹上げのコル。道標には『栂海新道 親不知 日本海』の字が。栂海新道が日本海まで繋がっていることを意識させられ、興奮が止まらない。心の中で「日本海行くぞー!」と叫び、顔はいつも通りで黙々と歩いた。
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[吹上げのコル。近くの岩にもデカデカと「日本海」と書かれていた。]

さて、ついに始まった栂海新道。サワガニ山岳会が1966年から1971年まで6年かけて切り拓いた。事前の中村さん情報では、「巻道と九十九折を否定した道」と言われていた。つまり、稜線上をピークまで一気に駆け上がり、一気に駆け下りる道だということだ。そうであれば登りは超健脚者向けというのも頷ける。そんな、朝日岳から日本海へ抜けるまさに夢の登山道が、今合宿一番の楽しみであった。
今いる吹上げのコルは標高約2,200mである。そこからアップダウンを繰り返し、今日は標高約1,550mの栂海山荘まで歩く。序盤から鬱蒼とした森の中を進む道に、少し先行きの不安を感じた。これから標高を下げるのに風通しの悪い樹林帯というのはあまり心地の良いものではなかった。しかし、予想は良い方に裏切られ、開けた湿原も交互に現れた。湿原の中を行く木道はまさに尾瀬といった感じで、北アルプスにいないかのような錯覚を覚えた。私のカメラの画像を見返しても、この栂海新道前半での写真が多いように感じる。昨日の雨のせいか泥濘になっている場所が多く、時々足首くらいまで沈むこともあり、足元には注意が必要だった。
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[まるで尾瀬のような木道登山道。]

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[池も頻繁に現れ、登山道を飲み込んでいる池もあった。(笑)]

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[樹林帯とこのような景色が頻繁に入れ替わり、個人的には尾瀬より好きになった。]

大糸線の小滝駅へと下る中俣新道と分岐する黒岩山からは、事前に言われていた栂海新道の特徴が現れだした。本当にピークを巻かない道である。益田さん曰く「男らしい道」。地形図を見てみても、新潟県・富山県の県境となっている稜線を綺麗になぞっている。2日前の「ピークを取らない主義」だった私に言わせると、日本百名山ですらない山のピークを取ることほど無駄なことはないような気はするが、実際歩いてみると(地形図でも分からなくもないが)、巻道を付けるにも危ない道な感じはした。つまりピークを丁寧に取り続けるのが一番安全な道であるかのように見えてしまうのだ。だからと言って九十九折もせずに直登するのは、もう少し努力して欲しかったものだ…。
途中のサワガニ山では1人の男性とすれ違った。栂海新道に入って初の登山客である。私はまったく接点を持たなかったので何者かは分からなかったが、サワガニ山、特にその男性の周りはハエが多かったように記憶している。

10時30分頃北又の水場(栂海山荘の水場)に到着すると、益田さんが「水場の様子を見てから行くから行くから先行ってて」と言ったため、4人での行動となった。ここで今合宿最初で最後の先頭を務めたが、急登はシンドいものである。益田さん曰く「ココ上り詰めて10分下れば小屋だから」らしく、地形図を確認せず信じて登り始める。相変わらずの急登。先頭だと張り切って今までよりペースを上げたのが馬鹿だった。なかなか現れないピーク、上がる心拍数、後ろをピッタリついてくる斎藤…。ここに限らず、斎藤はいつでも先行者の後ろにピッタリくっついて歩いていた。合宿中歩荷駅伝に出たいとかいう話もしていたし、なかなかすごい体力の持ち主であり、変態である。
さて、ゼェゼェ言いながらピークに着いたは良いものの、小屋は一向に見える気配がない。それもそのはず。益田さんが言っていた「ココ」とはこのピークではなく、さらに先の犬ヶ岳のことであった。嘆いていても仕方がないので、遅れていた中沢らを待ち、前進する。下って登ってを淡々と繰り返す。斎藤がトイレに行きたそうにしていたため、とりあえず中沢を尾崎さんにお願いし、2人で山荘を目指した。11時頃、ほどなくして犬ヶ岳のピークに到着。やっと目指す栂海山荘が見えた。大声では言えないが、奇抜なカラーである。もう少し控えめにして馴染んで欲しかったが、赤と緑は異様なほど目立ちすぎていた。
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[犬ヶ岳の稜線から見えた栂海山荘。見つけやすいことにおいては文句無し。]

犬ヶ岳の道標を過ぎると栂海新道の開拓者・小野健氏の顔写真とちょっとした説明の載ったボードがあったので、開拓への感謝と日本海までの無事の祈りを込めて合掌を捧げた。そして下ること約5分、待ちに待った栂海山荘に到着したのだ。トイレに行きたがっていた斎藤を待っていたのは、「トイレ」ではなく「キジ場」。行ってきた斎藤に話を聞くと、「穴があって、そこにすると下に流れて行きました」とのこと。後々見に行ったが、私には怖くて「そこ」に立つことができなかった。
暫くして尾崎さんが到着し、その後死んだ顔をした中沢も到着して小屋の数m手前でザックを放り出し倒れこんだ。ここまで頑張れよ笑。
益田さんが到着すると、水場の水がドバドバ出ていたので明日の行動用にも汲みに行くとのこと。申し訳なさを感じつつお願いし、残った我々4人は思い思いの時間を過ごした。
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[トイレを見に行ってみたが、乗ったら落ちていきそうである。]

私はこの日のために初日からザックに忍ばせていた『プレミアムモルツ』を取り出し、1人誕生日の贅沢に耽っていた。すると、誕生日プレゼントとして、尾崎さんから『堅揚げポテト』を、中沢から『カルパス』をいただき、おつまみとさせていただいた。斎藤も何かくれようとしていたが、初日にビタミン剤のようなものも貰ったし迷惑もかけていたため断った。温いビールはあまり好きではないが、それでも誕生日には適した贅沢であった。
各々思い思いの篤志金を入れて小屋に入る。内部は意外と広く、何部屋かに分かれている。入ってすぐには土間もあり、調理スペースとして利用できるようだ。トイレを除けば、なかなかに素晴らしい小屋だった。小屋内で寛いだり、本を読んだり、各自自由な時間を過ごす。益田さんが水汲みから帰ってきて暫く経った15時30分頃、絶対に誰も来ないと思っていたが、1人の男性が現れた。焼岳から入山して、10日目だと言っており、今日は白馬から来たらしい。恐ろしく強い方であった。

16時になったのでご飯を作り始める。夕飯はトマトパスタ。麺は1人200gなので十分お腹いっぱいになった。山では早くできた方が良いだろうと『早茹で2分』を買って行ったが、麺の構造上、この麺は嵩張る上に茹でムラができやすいらしい。次回からは普通の6分とか7分の茹で時間の麺を持って行こうと思う。今夜は小屋泊なので、下界のような安心感の中、毛布に包まって寝た。銀マット2枚分の広さを占有し、モバイルバッテリーでiPhoneを充電しながら音楽を聞いていたてめ、いつもより少し夜更かしをしてしまったが…。こうして最高の誕生日は幕を閉じた。




・7日目(8/29) 晴
3時起床。いつもと違った目覚めだ。平らな床で毛布に包まって気持ちよく寝れた。小屋泊に取り憑かれそうであった。小屋泊と雖もいつも通りお茶漬けを掻き込む。テント撤収がないにも関わらず出発時間が4時30分となってしまった。最終日だからか小屋泊だからか気が緩んでしまった。1人準備を終わらせていた益田さんには待たせてしまって申し訳なかった。
ここ栂海山荘の標高は1,550mほど。今日はそこから天険 親不知、日本海を目指す。つまり、単純に1,550mダウンだ。膝が心配だったが、歩くしかなかった。
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[最終日も天気に恵まれ、最高の気分だ。]

7時30分頃、3時間ほどで白鳥山に到着。白鳥山に着くと、益田さんが白鳥小屋の上の見晴台のようなところに登っていた。梯子が怖い私は登れなかったが、きっと下界が見えていたのだろう。ここでまた斎藤がトイレに行ったため聞いてみると、ここのトイレも栂海山荘と同様らしい。益田さんの情報では、南アルプスの農鳥小屋も同じらしい。こういうトイレは後の処理はどうなっているのだろうか。
さて、昨日の黒岩山からずっと新潟富山の県境を歩いてきたわけだが、それも白鳥山で終了し、完全に新潟県に入る。白鳥山からは今までとは打って変わって、急に下り始める。シキ割付近で一旦急斜面ではなくなるが、『直滑降』という表現が似合いそうな急な斜面をひたすら下りる。途中で膝が痛み出したため、ペースを落とす。1時間半ほど歩いた9時頃、坂田峠に降り立ち、扇沢以来のアスファルトを踏みしめる。そういえばここまでの道中(シキ割付近だろうか)で2人組の登山客とすれ違った。台風は大丈夫だったのだろうか…。

中沢が死にそうな顔をしていたが、15分ほどの休止で、次なるピークの尻高山を目指し出発する。尻高山までは、今までの地獄のような下りなんて夢だったかのように緩やかな道だった。後続の中沢と付き添う尾崎さんが遅れていたため、前3人はナメクジペースで歩いていたが、後続の姿が見えなかった。『北アルプス』というよりは『近所の自然公園内の森林道』といった雰囲気で、泥濘と時々垂れている毛虫と暑さを除けば快適な登山道だった。ザックを担いで立っているだけで汗をかくのも当然である。標高約600m。これは丹沢の大倉尾根で言うと見晴茶屋と同じ程度である。真夏の日中に超低山ハイクなのだから、暑いに決まっている。
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[雰囲気は真夏の低山]

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[下界の港が見えて、思わず叫び声を上げた。]

45分ほどかけて尻高山のピークに着く。後続の到着を待ち、ここからは中沢を2番目に入れて隊列を組んだ。歩き始めると、益田さんはかなりハイペースで歩いた。中沢もそれに続いている。なんだバテてないじゃないか…。益田さんの「中沢ー!」の叫び声を皮切りに、中沢に対する応援や注意、激励などのコメントが叫ばれるようになる。3日前はパーティ決裂寸前だったにも関わらず、最後に今合宿一番の団結力が見れた気がして、私は嬉しかった。10時20分、再び林道との交差点に出たので1本取る。アスファルトが暑かった。標高は470mまで下がっている。
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[この林道のカーブの先から、虫かごと虫取り網を持った少年が走って出てきそうな雰囲気があった。]

休憩を終え、益田さんは親不知までノンストップで行くことを決意した。我々は『目指すは日本海だ!』と言ってしまった。その結果、ザックを持ったまま海抜0mまで下ることが決定してしまった。この最後の区間は特にペースが早く、私自身いつおいていかれるかヒヤヒヤしながら歩いた。「アァ……アァ……」を延々と言い続ける機械となった中沢を見て、昨年の夏合宿の自分の姿を重ね、胸が熱くなった。昨年に比べれば私も成長したのだろうか。
二本松峠を通過し、最後の名前付きピーク・入道山を通過。そこから2,3の小ピークを通過し、最後の下りへと入る。相変わらずの泥濘道で皆数回ずつは転倒していたと思う。

下る。下る。ひたすら下る。海が近くなっている。下る。下る。ただただ下る。鉄塔の下を通過する。下る。下る。車道が見えた! 下る。アスファルトを踏む。しかし前方に登山道が…。また下る。下る。下る。今度こそ国道8号線が見える。下って下る。再度アスファルトを踏み、左右をよく確認して横断する。
親不知観光ホテル! 海抜80mだ。しかし海岸に下りる道が見当たらない。ウロウロ探し回り見つける。最後は各自ゆっくり下り、海岸線に着いた! その場に居合わせた方に集合写真を撮っていただき、日本海にGO!! ちなみに中沢は死んでいた。
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[親不知の海岸でメンバー全員の到着を待つ]

7日間日本海を夢見て歩いてきた。綺麗な青空の下、我々5人だけとなった狭い海岸を、プライベートビーチの如く堪能した。気持ちが良かった。完遂できた喜び、感動、感謝で涙が溢れた。1日以外雨が降らなかった最高の、恵まれた合宿であった。
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[下山写真。みな良い顔をしている(笑)]

日本海はどこまでも広く、そしてどこまでも青かった。邪魔するものなく、自然のものにしてはやけに直線的な水平線を気の済むまで眺めた。他のメンバーも思い思いの時間を過ごしていた。山男と海の貴重なコラボレーションも、なかなかに見ものだった。
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[7日間歩き続けた距離より遥か遠くまで見通せる日本海。我々の小ささを実感した。]


〈下山後〉
各自海岸で合宿の余韻に浸った後、80mザックを担ぎ上げる作業に取り掛かる。私は国道のレベルに復帰した後、唐松岳頂上山荘以来我慢し続けていたトイレを済ませ、身体を軽くした。尾崎さんは入浴前までに6本のジュースを飲み干しており、入浴後どれだけ飲んだかは知らないがすごいものである。下山前に「俺が親不知の自販機を空にしてやる」と張り切っていただけのことはある。
入浴は登山口にある親不知観光ホテル。入浴料と親不知駅までの送迎料込みで1,500円である。浴槽が小さかったり、浴槽の配置が突っ込みどころだったりと、あまり満足のいく施設ではなかったが、それでも1週間の疲れを癒すには十分だった。
親不知駅まで送っていただき、さぁ駅に入るぞというところで、「あれ、財布忘れたかもしれない」とザックを漁る中沢。ホテルまで歩いて戻ると言うので放っておいて我々は糸魚川駅に向かった。我ながら冷めた人間だなと思う。

糸魚川駅は新幹線が通るし栄えてるよね! …そんな考えを抱いていた我々が馬鹿だった。駅の近くの定食屋はすべて閉まっており、食べるところがない。仕方がなく17時の開店時間を待って、『膳処くろひめ』に入る。なかなかオシャレなお店だ。私は950円のトンカツ定食をいただく。950円の割に量も多く、肉も柔らかく脂も乗っていてとても美味しい。物価の違いだろうか、東京なら1,500円くらいしそうな料理であった。ともかく、久しぶりの肉に大満足である。

その後、益田さんと斎藤は次なる岩パの合宿に参加すべく富山駅へ、尾崎さんは新幹線で東京へと向かった。私は新幹線と悩んだが、財布が許さず直江津駅に出て、人生初の3列シートの夜行バスに乗って新宿に向かった。ちなみに中沢はあの後すぐ財布等を届けていただけたようだが、その後の彼の行方を知る者はいない。
親不知観光ホテルやその関係者の方々には迷惑をかけてしまい、本当に申し訳ありません。




▽まとめ
なにより、5人で日本海まで縦走できて良かった。今回の合宿は天気に恵まれ過ぎており、非常に楽しめた。
反省点は食料関係だろうか。夕食は美味しく頂けるので良いが、朝食はほぼお茶漬けであった。これでは流石に飽きてしまう。山の朝食ではラーメンかお茶漬けしか食べたことがないが、他に何か良いメニューの考案が必要だと感じた。また行動食に関して、少なすぎた昨年に比べ、今年は多くしすぎて非常に重かった。適切な量を持っていきたいものである。
私自身昨年と合わせて2年連続完遂という良い結果を残しているので、来年の夏合宿も完遂できるよう、より一層の努力を重ねようと思った。
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