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夏合宿 北アルプス縦断 [後編] (2016/8/23-8/29)

 2016-09-24
メンバー

通期隊
CL:益田(B3)

後半隊
CL・医療:尾崎(B3)  SL・記録:梅田(B2)  食当・気象:中沢(B2)・斎藤(B1)



筆:梅田




◆行程◆

0日目(8/22)
【大岡山→信濃大町23:59】

1日目(8/23)
【信濃大町→扇沢7:25…種池山荘11:25…冷池山荘13:45】

2日目(8/24)
【冷池山荘3:30…鹿島槍ヶ岳5:15…キレット小屋7:00…五竜岳12:40…五竜山荘13:30】

3日目(8/25)
【五竜山荘6:30…唐松岳頂上山荘8:30】

4日目(8/26)
【唐松岳頂上山荘4:30…唐松岳4:40…不帰2峰北峰5:20…不帰ノ嶮5:55…天狗山荘8:55…村営白馬岳頂上宿舎11:45】

5日目(8/27)
【村営白馬岳頂上宿舎6:20…白馬岳6:50…雪倉岳9:50…朝日小屋12:45】

6日目(8/28)
【朝日小屋4:30…朝日岳5:10…吹上げのコル5:40…黒岩山…サワガニ山…犬ヶ岳11:00…栂海山荘11:05】

7日目(8/29)
【栂海山荘4:30…白鳥山7:30…坂田峠9:00…尻高山9:50…日本海11:30】







待ちに待った夏合宿である。もともと私は前半から参加する予定だったが、体力の心配から後半だけの参加とした。また、後半も継続する予定だった田中と山田が帰京したため、5人パーティとなった。




・0日目(8/22) 雨のち晴
食料の準備のため、14時頃部室に集合する。台風の影響で暴風雨で、中央本線は高尾〜塩山で運転を見合わせていた。食料の準備も共装分けも済み、出発する頃になっても依然運転を見合わせていた。心配していても仕方がない。とりあえず信濃大町へと出発。

高尾駅に着くと、現在運転再会に向け安全確認中とのこと。運の良いことに20分ほどの待ちで運転が再会され、歩を進めることができた。このまま行ければ良いのだが、甲府駅から先もダイヤが乱れており、松本行きがいつ来るか分からないとのこと。ぼーっとしたくない我々は夕飯を食べようと改札内の蕎麦屋さんに入りお腹を満たす。
しばらくマッタリして外に出ると、松本行きが間もなく発車するとの放送が…。ギリギリで駆け込み、事なきを得た。
無事信濃大町に着き、寝床を探していると、近くの公衆便所の屋根の下で寝ている益田さんを発見。コンビニで朝食を調達し、眠りについた。




・1日目(8/23) 曇のち晴
5時半頃起床。各自朝食を済ませ、扇沢行きバス乗り場へと向かう。ところで扇沢の読み方、私はずっと「おうぎさわ」だと思っていたが、ローマ字曰く「おうぎざわ」が正しいらしい。読み方は難しいものだ。
バスに揺られ扇沢に着くと、同日に入山する「岩パ」の橋本さん、松本、山本の3名がいた。互いの健闘を祈り、彼らはトロリーバスへと、我々は柏原新道へと向かった。
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[柏原新道入口にて]


昨年の合宿では北アルプスを上高地から室堂まで縦走した私だが、その時は生憎の雨続きだった。しかし今日は晴れている。そのことに胸を躍らせ、ウキウキと登った。
…が、バテた。心持ちとバテは関係ないようだ。心の中でヒィヒィ言いつつ、11:25頃種池山荘を通過。しばらく歩き、差し入れ消化も兼ねた大休止を取った。まずは大森からの差し入れを開けてみるが、「テン場で開けてね」と書かれていたこともあり、お預けとなった。気を取り直して八木さんからの差し入れを開ける。『chili beer』と書かれていた。ふむ、ここで飲むわけにもいかず、形からカルピスと自信を持って言える野口さんの差し入れを消費することにした。濃いめにつくったグレープ味のカルピスは、疲れた体に沁みた。
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[広いところで差し入れを消化する]


カルピスで喉を潤した我々は、爺ヶ岳南峰を取り、冷池山荘に到着した。が、私は疲れ切っており、熱中症と思われる症状があったため、他のメンバーがテン場に行くのを見送り、小屋の前のベンチで暫く休憩させてもらった。とはいえ日陰が全くない暑い中吐き気が治るはずがない。石油と書かれたドラム缶の陰に身を縮めて入り込み休憩する。
吐き気も落ち着いたところで私もテン場に向かう。中村さんからの事前情報では、小屋からテン場までが辛いらしい。覚悟して出発するとすぐ、情報で人の話し声がする。なんだテン場近いじゃないかと5,6段登って行くと、狭い広場に机とベンチが置かれているだけだった。4,5名の方が盛り上がってる中に入って行って目が合ってしまったため気まずくなり、すぐに撤収した。結局、これでもかというくらい登らされ、テン場に着く頃にはヘトヘトになっていた。小屋から時間にして10分程度である。トイレや水場がテン場にあるなら許せるが、小屋まで行かなくてはならないのが非常に辛いテン場だった。
時間も早かったので各々好きなように時間を過ごした。中沢と私は外で行動食を食べながらゴロゴロして快適テン場ライフを堪能した。
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[快適テン場ライフを堪能する私と空。あまりにも気持ちが良かったので撮ってしまった。]

そういえばと大森からの差し入れをチビチビ飲む。すごく美味しい。今月の初めに丹沢に日帰りで行った際にも大森はオリジナルブレンド(?)の美味しい飲み物を差し入れしてくれた。恐らく今回もオリジナルブレンドであろう。今度レシピを教えてもらいたいものだ。夕飯に少し味の薄い豚丼を食し、眠りについた。




・2日目(8/24) 晴のち曇
合宿2日目。この日、私は死を覚悟した。
2時に起床し、朝食のラーメンを食べる。少し量が多かった気がする。3時半に行動開始し、5:15頃鹿島槍ヶ岳のピークに達した。道標に「皆さん頂上の道標を入れて記念撮影をしますので周囲はあけて下さい」とあったので、記念に道標入りの自撮りを行い、ここまでは順調であった。
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[鹿島槍ヶ岳頂上にて]

しかしここからが本日の核心部、八峰キレット様である。我々は現地で「はっぽう」、「やつみね」などと読んでいたが、正しくは「はちみね」らしい。昔この地で猟をしていた「八さん」に由来するようだ。山の地名は難しいものだ。八峰キレットは日本三大キレットのうちの1つで、それを聞いただけでも怖そうである。
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[徐々に道も険しさを増す]

さて、今山行でキレットを楽しみにしていた私は、ここでウキウキになれば良かったのだが、疲れていたため恐怖が勝ってしまった。過去に先輩から「クライマーは臆病な方が良い」と言っていたのを思い出し無理矢理動くが、怖い。クライミング班で岩の扱いには慣れているつもりだったが、ザックが重いのとクライムダウンでは話が違ってくる。私はクライムダウンがとても苦手なのだ。鎖の支点を見ると立派なハンガーボルトだったため、怖いところでは遠慮なく使わせてもらった。こういうところでは「落ちたら死ぬ!!」が合言葉である。逆に言うと落ちなければ死なないのだ。そうなれば落ちない工夫をすれば良いだけである。ちなみにこの合言葉は、酷道こと国道157号線で使われているものだ。後日テント内でこの話をしたが、皆興味なさそうであった。
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[八峰キレット。幻想的な雰囲気だ。]

そして私は死を覚悟した。斜めにクライムダウンしている際、少し足元を疎かにしてしまい、滑らせてしまったのだ。両足とも。鎖を持っていたから助かったが、仮に強がって手も岩を支えにしていた場合、全重量を支えきれたかは疑問である。とにかく命拾いはした。鎖様々である。
そんなこんなでキレット小屋まで下りてきて休憩を取る。正直な感想は「よくこんなところに小屋を建てたものだ」というもの。山家はキチガイが多いのだろうか…?
その後はバテバテになりながらも五竜岳を取る。ペースが遅かったことから今日の行動を五竜山荘で打ち切ることが決定したため、長めの休憩を取った。そこで藤井さんからの差し入れを開けることになった。出発前に散々悩んで『塩って大事』を頂いてきたが、中身はリッツチーズサンドとトマトバジルソースであった。本当に塩って大事である。そのままで食べても美味しいが、ソースを付けて食べてもピザのような風味が口一杯に広がって美味しかった。〈チーズ×トマト×バジル〉は最高である。
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[リッツチーズサンド、美味しい。]

行動を再開し五竜山荘に向け下って行く。と、20分ほど経った頃1人の男性に遭遇する。「五竜山荘まだですかね…もう1時間も歩いてるのに着かなくて…」確かピークで「今から下ります。30分ほどで着きます」みたいな電話をしていた方だ。時間かかりすぎではないか、など色々な疑問は浮かぶが、その男性を最後尾に付けて10分ほどで五竜山荘に到着した。
ここ五竜山荘で一番記憶に残っているのは、トイレである。別にトイレは普通の山のトイレといった感じで問題ないのだが、トイレの脇にボイラーだか機械が置かれており、そこから発せられる熱風に乗ってトイレの臭いが周囲に撒き散らされていた。この手の臭いが大の苦手な私にとっては試練であった。
さて、テン場に着いたので、今日は八木さんの差し入れを消化することにした。chili beer。上には〈Very Hot & Spicy〉の字が…。どう考えても辛い飲み物である。なんと唐辛子が丸々漬けられているではないか。インパクト大である。後から辛さが来るタイプのようだ。そもそも唐辛子も辛いのも苦手な私にはギブアップだった。
外で行動食を食べながらゴロゴロしていると、いつの間にか寝てしまっていた。寒くて目を覚ますと、16:30。ヤバい。もうみんな夕飯を食べているのではないかと焦ってテントに入ると、まだ作っている途中だった。安心するも夕飯の準備の手伝いをしなかったことに罪悪感を感じた。夕飯はシチューで、今日はウインナーの日のようだ。贖罪のつもりでウインナーの本数が1本少ない人になり、美味しく頂いた。やっぱりウインナーはシャウエッセンである。




・3日目(8/25) 晴のち曇
今日は昨日打ち切ってしまった行程の消化なので、超が付くほどのゆとり日となった。実質行動時間にして2時間である。
そういうわけで朝もゆっくり5時起床。相変わらずのお茶漬けを掻き込み、6時半に出発。もう外はすでに明るい。
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[珍しく、朝日を浴びるテン場を見下ろす。]

少しだけ「落ちたら死ぬ!!」な場所を通過し、特に何事もなく8時半頃唐松岳頂上山荘に到着した。途中すれ違った男性に「赤いのがよく目立ってたよ」と言われ、少し嬉しかったくらいだ。何故「頂上」を唄うのか疑問であるが、なかなかに良い場所であった。テント泊者も小屋内トイレを使うことができるのだ。水が要煮沸なのが難点だが、トイレが全てを勝に変えてる気がした。それにしても、五竜山荘もそうであったが、このエリアのテン場は段々畑みたいなところが多いのだろうか。小屋に行くのに高低差があり疲れる。
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[「落ちたら死ぬ!!」な場所を通過する。]

ゆとり日は楽で良いが、早く着きすぎても暇で仕方がない。益田さんは明日の予習にと不帰キレットの下見に行き、残った4人で暇を持て余した。風もなく直射日光が当たるテン場は暑かったが、私はとりあえず行動食を貪り食べた。
12時頃から明日の行動用水10Lの煮沸作業にかかった。そういえば益田さんはいつ帰ってくるのだろうか、不帰キレットで不帰の身となってないだろうかなどと思いながら作業していると、地元中学生が3,40人くらいの大群で小屋に到着した。手を振ってきた女子生徒に手を振り返したり、ヤッホーと叫んできた男子生徒を無視したりしていると、やがて益田さんが帰ってきた。そして中学生の引率者と話してくると言い残し、益田さんは小屋の方へと向かった。その後団体が唐松岳を往復してきても帰ってこなかったため、絶対益田さん一緒に行ったななどと話していたが、腹を壊していただけらしい。それにしても、数十人の人が登山道を列をなして歩く姿は正直気持ちの悪いものだった。彼らは今夜は小屋泊だろうが、中学生で小屋泊は贅沢だとか、羨ましいだとか、今度小屋泊山行出そうかなとか色々な考え事が捗った。
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[登山道をぞろぞろと登る様は、まるで蛇のようだった。]

夕飯までにはまだ時間があったので、多めに持ってきていたベーコンを切って焼いて食べた。ベーコンすごく美味しい。今後のトレ山では生肉ではなくベーコンを持って行くべきだ、などと思いながら食べた。一緒に夏目さんからの差し入れの缶詰を開けてみる。ミカン缶だ! 個人的にフルーツ缶の中で最上位のフルーツの1つである。美味しかった。ちなみに夕飯はベーコンハヤシライスで、勿論美味しかった。
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[ベーコンは美味しい。異議は認めない。]

現地では『ハヤシライス』と『ハッシュドビーフ』の違いについて真剣に考えていたが、実際大きな違いはないらしい。ハヤシライスはトマトソースをベースにしており、ハッシュドビーフはドミグラスソースをベースとしているらしい。我々が買ったルゥは『ハヤシライス』であり、隠し味として藤井さんからの差し入れであるトマトバジルソースを入れていたので、『ハヤシライス』で正解のようだ。
今日感じた問題点、それは暇潰しのスキルが低いことだ。基本的に行動食を食べるか、ボーッとするか、寝るくらいしかやることがないのである。今日に関しては尾崎さんがクイズを出してくださったことから絶望的な状況にならずに済んだが、自由時間が長いときの対策を練る必要性を感じた。




・4日目(8/26) 晴のち曇のち雨
今日はこの合宿の核心とも言える、不帰キレット越えである。というのも、中村さんからの事前情報では一昨年の不帰キレット越えには11時間半もの時間を要しているとのことだったからだ。昨日小屋でお会いした男性からも不帰キレットの話を聞き、「人数やスキルにもよるがそこまで時間はかからない」という情報を得ていたため半信半疑ではあったが、念には念をと早めに出発することになった。また、益田さんの下見の結果最初の1時間は危険な道ではないことが判明したため、出発時間も当初の予定より早めた。結果、3時起床。今日も今日とてお茶漬けを掻き込み、4時半出発。

まだ薄暗い中、ゆっくり登る日の出見物客を追い抜きせっせと登る。ほどなくして唐松岳のピークに達する。日の出を今か今かと待つ他の登山客を尻目に通過し、不帰ノ嶮方面へと下りて行く。2日前の八峰キレットで恐怖を覚えた私は、今日も頻繁に「落ちたら死ぬ!!」と自分に言い聞かせた。明るみ始めた空の中アップダウンを繰り返し、不帰二峰北峰で休憩を取る。益田さんが日焼け止めを塗るよう指示を出すが、昨日まで日焼けを一番気にしていた中沢だけ塗ろうとせず突っ込まれていたのが印象深い。
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[日の出見物客を尻目に、不帰キレットへと下る。]

さて、明るくなった中不帰キレットに突入する。今回の合宿の目的地〈親不知(おやしらず)〉もそうだが、この〈不帰(かえらず)〉のように漢文調の読みをする地名には、どこか重厚さと格好良さを感じる。というのも、漢文調が使われていた昔からの表現が変わらずに残っている、つまりそれだけ昔から重要なことだと考えられていたと考えられるからだ。通行の難所だから名前をつける、それが重厚さを感じさせる原因だろうか。いずれにせよ、下山後に乗ることになる某第三セクター路線のような名前を付ける現代の日本人には、もうこのような名前を付ける能力はないのだろうと思うと寂しいものだ。
順調に歩を進めどんどん下る。最低鞍部を目前とし、丁度反対側を下りてくる男性を目撃した。不帰キレット上で初めての人である。少し広くなっている鞍部ですれ違いが出来そうで安心する。鞍部に到着し休憩を取る。後ろからも1人女性が来ていたようだ。また反対側からも数名下りてくるのが見えた。皆日の出と同時にキレット入りするためか、一時的に鞍部が混雑する。そして各々休憩を取り、目的地へと出発して行った。我々も出発する。
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[「白馬缶」だと言われていた不帰嶮の道標。]

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[鞍部で休憩を取る。]


途中4名のパーティとすれ違い、不帰キレットの核心部を登り終えたところで休憩を取る。簡単に書いてはいるが300mは登っている。本当に絶望的な登りだった。
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[いつまでも終わりが見えない急登。]

休憩中斎藤と、ジャンプした瞬間を撮影するという、よくあるオシャレな写真を撮ろうということになった。結果は成功。斎藤も喜んでいた。おや? 中沢もやりたそうな目でこちらを見ている。挑戦。……。………失敗。中沢らしい(?)結果だろうか。
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[成功する斎藤と失敗する中沢。]

休憩を終え、出発する。が、益田さんの様子が少し変であった。ペースがとにかく早いのだ。すぐについていけなくなり、離れる。ガスも出てきて、すぐに姿が見えなくなった。丁度真ん中の3人目を歩いていたが、前も後ろもガスで姿が見えない。とりあえず歩き、天狗山荘で追いつく。休憩を取り、全員が揃ったところで、益田さんから分隊の提案があり、益田さんと他4人でパーティが分かれることになった。計画書上も別なので問題ないとのことだった。

そんなわけで4人となった我々だが、出発すると強風に見舞われた。もともと体力もない我々は分隊を機に「ピークを取らない主義」になり、白馬鑓ヶ岳、杓子岳を巻いた。途中で葱平に下りる階段だらけの登山道が見え始め、しばらく歩くと小屋の姿が確認できた。が、そこからが登り返したり長かった気がする。そんなこんなで11時45分頃、白馬山荘より下にあるのに「頂上」を名乗る村営白馬岳頂上宿舎に到着し、テントを張る。今日は風が強く寒かったため、全員テント内で暇を持て余した。
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[「頂上」の小屋を見下ろす。]

今日の夕飯は乾燥野菜をふんだんに使ったカレーライスだ。ザ・カリーの中辛が売り切れていたため甘口と辛口をブレンドして作ったが、私には辛かった。素直に甘口だけ買っておけば良かったと後悔した。

食事を終えて暫くして、明日以降の行動についての話し合いが行われた。明日以降も引き続き分隊状態で行動するつもりの益田さんと、それは阻止したい我々。そもそもの分隊の原因は、山行で何を楽しいとするか、山に対する意識や考え方の違いであった。私が山で口癖のように言っている「辛い」や「帰りたい」という台詞も益田さんの精神を刺激していたようで申し訳なかった。大粒の雨が降ってきて、我々の心情を表しているかのようだった。結局益田さんが我々を受け入れてくださり、親不知まで5人で行くことになった。分隊が避けられ私は非常に安心し、眠りについた。が、背中に岩が当たる場所に寝たおかげで腰が痛くなり全然眠れなかった。テント設営は場所を妥協してはならないな。




・5日目(8/27) 雨のち曇
4時起床。雨が降っている。私が愛用しているウレタンマットの下や、枕として使用していたガッシャブルムの天蓋の下は水没しており、ガッシャブルム自身も水没してどうしようもないほど濡れていた。今日の朝もお茶漬けを掻き込むが、量が多いのか食欲がないのかなかなか減らない。寝不足のせいかお茶漬けのせいか気持ち悪さもあり、昨日の今日で若干の気まずさもあったが益田さんに相談すると、ビタミン剤を分けてくださった。降雨の影響で出発時間の変更が決まっていたのでゆっくり残りを食べ切り、暫く横になって安静にしていた。雨が弱まった頃には吐き気もなくなり、少し元気になった。益田さんありがとうございました。暫くして出発を決定し、各自撤収準備を進め、6時20分出発。

比較的ゆっくり歩き、6時50分白馬岳のピークに達した。この頃には雨も止み、我々のテンションも上がった。が、白馬岳を境に人の姿がなくなる。他の登山客がいないと歩きやすいが、少し寂しい気がする。
今日は比較的標高の変化が少ない道なので割と楽だ。雪倉岳避難小屋の先で3人組のパーティを追い抜く。雪倉岳以北はほぼ平坦で本当に歩きやすかった。登りは疲れるし辛い、下りは足や膝が痛いとなると、平坦が一番好きなのだ。
やがて木道が現れ始め、昨年の尾瀬1年ワンで習得した木道の滑らない歩き方を実践する。水平道分岐では、木道にデカデカと「分岐」と矢印が書かれていたことが印象に残っている。

事前の情報では水平道は水平ではないと聞いていた。確かに微妙なアップダウンはあるし泥濘もあって歩きづらいがそこまで辛くない、というのが序盤の感想である。雨が降り出し、やがて強くなった。後半戦では、思い出したかのように急な斜面を登る場面が断続的に現れ、道も悪くなってきた。それでも順調に歩を進め、12時45分、朝日小屋に到着した。
テントを張って中で和らぎを作る。濡れた装備を火に当てると蒸気を出しながら乾く。昨年の夏合宿で何度も経験したことだ。すごく懐かしい。暫くボーッとしていると、雨が止んだ。テン場の前の景色はカメラでは撮影できない美しさがあり、個人的に好きなテン場にランクインした。近くで雷鳥が3羽ほどジッとしており、間近で観察したり鳴き声を聞いたりした。
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[テン場から望む景色]

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[雷鳥]

今日の夕飯はスパム丼。スパムと玉ねぎをネギトロみたいな感じに混ぜて炒めて塩少々。ご飯に乗っけて出来上がりという、雑な山の男飯という感じの料理だったが、意外なことに美味しかった。今合宿で一番ご飯が進んだかもしれない。料理が簡単な割には、味付けの工夫次第でバリエーションも豊かになりそうで良い料理だと思う。




・6日目(8/28) 晴のち曇
今日は私にとって特別な日である。昨年は夏合宿のアプローチ日であった。今年は自宅で迎えたかったが、まさか山の上で迎えることになるとは…。そう、誕生日である。そして今日は誕生日に相応しい1日となった。数日前に確認した週間予報では27日から29日までは傘マークが付いていた。しかし今日は晴れている。なんとも嬉しい天からの誕生日プレゼントである。

そんな今日は記念すべき栂海新道(前編)である。ひたすら歩くしかないので朝は3時起床。またもお茶漬けを掻き込み、4時30分発。お茶漬け以外の朝ご飯も食べてみたいものだ。朝日岳の登りに取り掛かる。道中下界の灯りが見え、その灯りと暗闇が綺麗に分かれている一筋の線、海岸線の形が見て取れた。5時10分、日の出の少し前に朝日岳のピークに到着。丁度良いタイミングで登頂したようだ。
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[朝焼けが雲を良い感じで照らす]

5時15分頃、今合宿で初となる綺麗な日の出を朝日岳から拝むことができた。朝日岳から朝日を拝む。なかなかオシャレな展開である。ピークには他にもう1パーティおり、話すと昨日雪倉岳避難小屋付近で追い抜いた方々だった。しかも東急池上線沿線住民だというから驚きだ。息子さんが東工大の鉄研が良いとか話していたらしい。
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[合宿中発の綺麗な日の出を観測]

山頂を先に失礼して、我々は出発した。ピーク付近の道標で初めて『栂海新道』の名を目にしてテンションが一気に上がる。これを求めて扇沢から遥々歩いてきたのだ。20分ほど歩き、吹上げのコル。道標には『栂海新道 親不知 日本海』の字が。栂海新道が日本海まで繋がっていることを意識させられ、興奮が止まらない。心の中で「日本海行くぞー!」と叫び、顔はいつも通りで黙々と歩いた。
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[吹上げのコル。近くの岩にもデカデカと「日本海」と書かれていた。]

さて、ついに始まった栂海新道。サワガニ山岳会が1966年から1971年まで6年かけて切り拓いた。事前の中村さん情報では、「巻道と九十九折を否定した道」と言われていた。つまり、稜線上をピークまで一気に駆け上がり、一気に駆け下りる道だということだ。そうであれば登りは超健脚者向けというのも頷ける。そんな、朝日岳から日本海へ抜けるまさに夢の登山道が、今合宿一番の楽しみであった。
今いる吹上げのコルは標高約2,200mである。そこからアップダウンを繰り返し、今日は標高約1,550mの栂海山荘まで歩く。序盤から鬱蒼とした森の中を進む道に、少し先行きの不安を感じた。これから標高を下げるのに風通しの悪い樹林帯というのはあまり心地の良いものではなかった。しかし、予想は良い方に裏切られ、開けた湿原も交互に現れた。湿原の中を行く木道はまさに尾瀬といった感じで、北アルプスにいないかのような錯覚を覚えた。私のカメラの画像を見返しても、この栂海新道前半での写真が多いように感じる。昨日の雨のせいか泥濘になっている場所が多く、時々足首くらいまで沈むこともあり、足元には注意が必要だった。
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[まるで尾瀬のような木道登山道。]

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[池も頻繁に現れ、登山道を飲み込んでいる池もあった。(笑)]

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[樹林帯とこのような景色が頻繁に入れ替わり、個人的には尾瀬より好きになった。]

大糸線の小滝駅へと下る中俣新道と分岐する黒岩山からは、事前に言われていた栂海新道の特徴が現れだした。本当にピークを巻かない道である。益田さん曰く「男らしい道」。地形図を見てみても、新潟県・富山県の県境となっている稜線を綺麗になぞっている。2日前の「ピークを取らない主義」だった私に言わせると、日本百名山ですらない山のピークを取ることほど無駄なことはないような気はするが、実際歩いてみると(地形図でも分からなくもないが)、巻道を付けるにも危ない道な感じはした。つまりピークを丁寧に取り続けるのが一番安全な道であるかのように見えてしまうのだ。だからと言って九十九折もせずに直登するのは、もう少し努力して欲しかったものだ…。
途中のサワガニ山では1人の男性とすれ違った。栂海新道に入って初の登山客である。私はまったく接点を持たなかったので何者かは分からなかったが、サワガニ山、特にその男性の周りはハエが多かったように記憶している。

10時30分頃北又の水場(栂海山荘の水場)に到着すると、益田さんが「水場の様子を見てから行くから行くから先行ってて」と言ったため、4人での行動となった。ここで今合宿最初で最後の先頭を務めたが、急登はシンドいものである。益田さん曰く「ココ上り詰めて10分下れば小屋だから」らしく、地形図を確認せず信じて登り始める。相変わらずの急登。先頭だと張り切って今までよりペースを上げたのが馬鹿だった。なかなか現れないピーク、上がる心拍数、後ろをピッタリついてくる斎藤…。ここに限らず、斎藤はいつでも先行者の後ろにピッタリくっついて歩いていた。合宿中歩荷駅伝に出たいとかいう話もしていたし、なかなかすごい体力の持ち主であり、変態である。
さて、ゼェゼェ言いながらピークに着いたは良いものの、小屋は一向に見える気配がない。それもそのはず。益田さんが言っていた「ココ」とはこのピークではなく、さらに先の犬ヶ岳のことであった。嘆いていても仕方がないので、遅れていた中沢らを待ち、前進する。下って登ってを淡々と繰り返す。斎藤がトイレに行きたそうにしていたため、とりあえず中沢を尾崎さんにお願いし、2人で山荘を目指した。11時頃、ほどなくして犬ヶ岳のピークに到着。やっと目指す栂海山荘が見えた。大声では言えないが、奇抜なカラーである。もう少し控えめにして馴染んで欲しかったが、赤と緑は異様なほど目立ちすぎていた。
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[犬ヶ岳の稜線から見えた栂海山荘。見つけやすいことにおいては文句無し。]

犬ヶ岳の道標を過ぎると栂海新道の開拓者・小野健氏の顔写真とちょっとした説明の載ったボードがあったので、開拓への感謝と日本海までの無事の祈りを込めて合掌を捧げた。そして下ること約5分、待ちに待った栂海山荘に到着したのだ。トイレに行きたがっていた斎藤を待っていたのは、「トイレ」ではなく「キジ場」。行ってきた斎藤に話を聞くと、「穴があって、そこにすると下に流れて行きました」とのこと。後々見に行ったが、私には怖くて「そこ」に立つことができなかった。
暫くして尾崎さんが到着し、その後死んだ顔をした中沢も到着して小屋の数m手前でザックを放り出し倒れこんだ。ここまで頑張れよ笑。
益田さんが到着すると、水場の水がドバドバ出ていたので明日の行動用にも汲みに行くとのこと。申し訳なさを感じつつお願いし、残った我々4人は思い思いの時間を過ごした。
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[トイレを見に行ってみたが、乗ったら落ちていきそうである。]

私はこの日のために初日からザックに忍ばせていた『プレミアムモルツ』を取り出し、1人誕生日の贅沢に耽っていた。すると、誕生日プレゼントとして、尾崎さんから『堅揚げポテト』を、中沢から『カルパス』をいただき、おつまみとさせていただいた。斎藤も何かくれようとしていたが、初日にビタミン剤のようなものも貰ったし迷惑もかけていたため断った。温いビールはあまり好きではないが、それでも誕生日には適した贅沢であった。
各々思い思いの篤志金を入れて小屋に入る。内部は意外と広く、何部屋かに分かれている。入ってすぐには土間もあり、調理スペースとして利用できるようだ。トイレを除けば、なかなかに素晴らしい小屋だった。小屋内で寛いだり、本を読んだり、各自自由な時間を過ごす。益田さんが水汲みから帰ってきて暫く経った15時30分頃、絶対に誰も来ないと思っていたが、1人の男性が現れた。焼岳から入山して、10日目だと言っており、今日は白馬から来たらしい。恐ろしく強い方であった。

16時になったのでご飯を作り始める。夕飯はトマトパスタ。麺は1人200gなので十分お腹いっぱいになった。山では早くできた方が良いだろうと『早茹で2分』を買って行ったが、麺の構造上、この麺は嵩張る上に茹でムラができやすいらしい。次回からは普通の6分とか7分の茹で時間の麺を持って行こうと思う。今夜は小屋泊なので、下界のような安心感の中、毛布に包まって寝た。銀マット2枚分の広さを占有し、モバイルバッテリーでiPhoneを充電しながら音楽を聞いていたてめ、いつもより少し夜更かしをしてしまったが…。こうして最高の誕生日は幕を閉じた。




・7日目(8/29) 晴
3時起床。いつもと違った目覚めだ。平らな床で毛布に包まって気持ちよく寝れた。小屋泊に取り憑かれそうであった。小屋泊と雖もいつも通りお茶漬けを掻き込む。テント撤収がないにも関わらず出発時間が4時30分となってしまった。最終日だからか小屋泊だからか気が緩んでしまった。1人準備を終わらせていた益田さんには待たせてしまって申し訳なかった。
ここ栂海山荘の標高は1,550mほど。今日はそこから天険 親不知、日本海を目指す。つまり、単純に1,550mダウンだ。膝が心配だったが、歩くしかなかった。
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[最終日も天気に恵まれ、最高の気分だ。]

7時30分頃、3時間ほどで白鳥山に到着。白鳥山に着くと、益田さんが白鳥小屋の上の見晴台のようなところに登っていた。梯子が怖い私は登れなかったが、きっと下界が見えていたのだろう。ここでまた斎藤がトイレに行ったため聞いてみると、ここのトイレも栂海山荘と同様らしい。益田さんの情報では、南アルプスの農鳥小屋も同じらしい。こういうトイレは後の処理はどうなっているのだろうか。
さて、昨日の黒岩山からずっと新潟富山の県境を歩いてきたわけだが、それも白鳥山で終了し、完全に新潟県に入る。白鳥山からは今までとは打って変わって、急に下り始める。シキ割付近で一旦急斜面ではなくなるが、『直滑降』という表現が似合いそうな急な斜面をひたすら下りる。途中で膝が痛み出したため、ペースを落とす。1時間半ほど歩いた9時頃、坂田峠に降り立ち、扇沢以来のアスファルトを踏みしめる。そういえばここまでの道中(シキ割付近だろうか)で2人組の登山客とすれ違った。台風は大丈夫だったのだろうか…。

中沢が死にそうな顔をしていたが、15分ほどの休止で、次なるピークの尻高山を目指し出発する。尻高山までは、今までの地獄のような下りなんて夢だったかのように緩やかな道だった。後続の中沢と付き添う尾崎さんが遅れていたため、前3人はナメクジペースで歩いていたが、後続の姿が見えなかった。『北アルプス』というよりは『近所の自然公園内の森林道』といった雰囲気で、泥濘と時々垂れている毛虫と暑さを除けば快適な登山道だった。ザックを担いで立っているだけで汗をかくのも当然である。標高約600m。これは丹沢の大倉尾根で言うと見晴茶屋と同じ程度である。真夏の日中に超低山ハイクなのだから、暑いに決まっている。
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[雰囲気は真夏の低山]

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[下界の港が見えて、思わず叫び声を上げた。]

45分ほどかけて尻高山のピークに着く。後続の到着を待ち、ここからは中沢を2番目に入れて隊列を組んだ。歩き始めると、益田さんはかなりハイペースで歩いた。中沢もそれに続いている。なんだバテてないじゃないか…。益田さんの「中沢ー!」の叫び声を皮切りに、中沢に対する応援や注意、激励などのコメントが叫ばれるようになる。3日前はパーティ決裂寸前だったにも関わらず、最後に今合宿一番の団結力が見れた気がして、私は嬉しかった。10時20分、再び林道との交差点に出たので1本取る。アスファルトが暑かった。標高は470mまで下がっている。
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[この林道のカーブの先から、虫かごと虫取り網を持った少年が走って出てきそうな雰囲気があった。]

休憩を終え、益田さんは親不知までノンストップで行くことを決意した。我々は『目指すは日本海だ!』と言ってしまった。その結果、ザックを持ったまま海抜0mまで下ることが決定してしまった。この最後の区間は特にペースが早く、私自身いつおいていかれるかヒヤヒヤしながら歩いた。「アァ……アァ……」を延々と言い続ける機械となった中沢を見て、昨年の夏合宿の自分の姿を重ね、胸が熱くなった。昨年に比べれば私も成長したのだろうか。
二本松峠を通過し、最後の名前付きピーク・入道山を通過。そこから2,3の小ピークを通過し、最後の下りへと入る。相変わらずの泥濘道で皆数回ずつは転倒していたと思う。

下る。下る。ひたすら下る。海が近くなっている。下る。下る。ただただ下る。鉄塔の下を通過する。下る。下る。車道が見えた! 下る。アスファルトを踏む。しかし前方に登山道が…。また下る。下る。下る。今度こそ国道8号線が見える。下って下る。再度アスファルトを踏み、左右をよく確認して横断する。
親不知観光ホテル! 海抜80mだ。しかし海岸に下りる道が見当たらない。ウロウロ探し回り見つける。最後は各自ゆっくり下り、海岸線に着いた! その場に居合わせた方に集合写真を撮っていただき、日本海にGO!! ちなみに中沢は死んでいた。
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[親不知の海岸でメンバー全員の到着を待つ]

7日間日本海を夢見て歩いてきた。綺麗な青空の下、我々5人だけとなった狭い海岸を、プライベートビーチの如く堪能した。気持ちが良かった。完遂できた喜び、感動、感謝で涙が溢れた。1日以外雨が降らなかった最高の、恵まれた合宿であった。
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[下山写真。みな良い顔をしている(笑)]

日本海はどこまでも広く、そしてどこまでも青かった。邪魔するものなく、自然のものにしてはやけに直線的な水平線を気の済むまで眺めた。他のメンバーも思い思いの時間を過ごしていた。山男と海の貴重なコラボレーションも、なかなかに見ものだった。
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[7日間歩き続けた距離より遥か遠くまで見通せる日本海。我々の小ささを実感した。]


〈下山後〉
各自海岸で合宿の余韻に浸った後、80mザックを担ぎ上げる作業に取り掛かる。私は国道のレベルに復帰した後、唐松岳頂上山荘以来我慢し続けていたトイレを済ませ、身体を軽くした。尾崎さんは入浴前までに6本のジュースを飲み干しており、入浴後どれだけ飲んだかは知らないがすごいものである。下山前に「俺が親不知の自販機を空にしてやる」と張り切っていただけのことはある。
入浴は登山口にある親不知観光ホテル。入浴料と親不知駅までの送迎料込みで1,500円である。浴槽が小さかったり、浴槽の配置が突っ込みどころだったりと、あまり満足のいく施設ではなかったが、それでも1週間の疲れを癒すには十分だった。
親不知駅まで送っていただき、さぁ駅に入るぞというところで、「あれ、財布忘れたかもしれない」とザックを漁る中沢。ホテルまで歩いて戻ると言うので放っておいて我々は糸魚川駅に向かった。我ながら冷めた人間だなと思う。

糸魚川駅は新幹線が通るし栄えてるよね! …そんな考えを抱いていた我々が馬鹿だった。駅の近くの定食屋はすべて閉まっており、食べるところがない。仕方がなく17時の開店時間を待って、『膳処くろひめ』に入る。なかなかオシャレなお店だ。私は950円のトンカツ定食をいただく。950円の割に量も多く、肉も柔らかく脂も乗っていてとても美味しい。物価の違いだろうか、東京なら1,500円くらいしそうな料理であった。ともかく、久しぶりの肉に大満足である。

その後、益田さんと斎藤は次なる岩パの合宿に参加すべく富山駅へ、尾崎さんは新幹線で東京へと向かった。私は新幹線と悩んだが、財布が許さず直江津駅に出て、人生初の3列シートの夜行バスに乗って新宿に向かった。ちなみに中沢はあの後すぐ財布等を届けていただけたようだが、その後の彼の行方を知る者はいない。
親不知観光ホテルやその関係者の方々には迷惑をかけてしまい、本当に申し訳ありません。




▽まとめ
なにより、5人で日本海まで縦走できて良かった。今回の合宿は天気に恵まれ過ぎており、非常に楽しめた。
反省点は食料関係だろうか。夕食は美味しく頂けるので良いが、朝食はほぼお茶漬けであった。これでは流石に飽きてしまう。山の朝食ではラーメンかお茶漬けしか食べたことがないが、他に何か良いメニューの考案が必要だと感じた。また行動食に関して、少なすぎた昨年に比べ、今年は多くしすぎて非常に重かった。適切な量を持っていきたいものである。
私自身昨年と合わせて2年連続完遂という良い結果を残しているので、来年の夏合宿も完遂できるよう、より一層の努力を重ねようと思った。
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9/6~9/18 夏合宿 南アルプス縦走

 2016-09-21
筆:大森
メンバー
CL,記録  B2大森
SL,気象  B2柴田
医療食料 B2鈴木
装備食料 B2中山(亘)
食料気象 B1中山(翔)
食料気象 B1上野
食料気象 B1小林

行程
南ア行程図
1日目 9/7
5:00甲府駅よりタクシー
06:10夜叉神峠登山口-7:10夜叉神峠-8:40杖立峠-10:10苺平-10:40南御室小屋-12:10薬師岳-13:15観音岳-14:35鳳凰小屋(泊)
2日目 9/8
06:00鳳凰小屋-6:50 地蔵ヶ岳(10分) -8:55白鳳峠-11:00白鳳峠入口-14:00長衛小屋(泊)
3日目 9/9
04:08長衛小屋-5:10仙水峠 -1時間30分B -6:25駒津峰 -7:45甲斐駒ケ岳-9:00駒津峰 -10:10北沢峠-12:30馬ノ背ヒュッテ-13:30仙丈ヶ岳-14:30仙丈小屋-16:45長衛小屋(泊)
4日目 9/10
05:00長衛小屋-5:45野呂川出合7:20広河原峠-9:40白根御池小屋-12:35北岳肩ノ小屋(泊)
5日目 9/11
04:05北岳肩ノ小屋-4:40北岳(40分)-6:05北岳山荘-7:25間ノ岳(25分)-8:40農鳥小屋-9:50農鳥岳(10分)-11:20農鳥小屋-14:20三国平-15:30熊の平小屋(泊)
6日目 9/12
03:15熊の平小屋-5:10新蛇抜岳-8:20塩見岳(30分)-10:14塩見小屋-12:15本谷山-13:30三伏峠(泊)
7日目 9/13
[大森柴田上野,03:30三伏峠-05:20鳥倉登山口-05:50鳥倉ゲート(上野下山)-06:20鳥倉登山口-08:30三伏峠]
10:20三伏峠-10:50烏帽子岳-13:10板屋岳-13:50高山裏避難小屋 (泊)
8日目 9/14 停滞
9日目 9/15
02:30高山裏避難小屋-05:10中岳避難小屋(50分)-06:30東岳(悪沢岳)-07:05中岳避難小屋-08:10荒川小屋(20分)-10:05赤石岳(25分)-14:15百間洞山の家(30分)-13:05大沢岳-13:30中盛丸山-15:35兎岳避難小屋 (泊)
10日目 9/16
8:05兎岳避難小屋-8:25聖兎のコル-09:30前聖岳-10:40聖平小屋前分岐(35分)-13:00上河内岳の肩-13:30茶臼小屋:(泊)
11日目 9/17
4:00茶臼小屋-4:20茶臼岳-5:00希望峰-6:00易老岳-08:10光岳(30分)-10:30易老岳-11:30希望峰-12:10茶臼小屋
12日目 9/18
06:20茶臼小屋-07:05横窪沢小屋-08:05ウソッコ沢小屋-09:15茶臼岳登山口-9:50沼平(ゲート)

行動内容
0日目 9/6
甲府駅で駅寝。
寝る準備を済ませると鈴木がメンバーの彼女のツイ垢を発見。ただでさえ少ない睡眠時間を下世話な詮索に充てる
こうして夜は更けていく…

1日目 9/7
夜叉神峠登山口までジャンボタクシーに乗る。
登り始めると寝不足のせいかなんだかやたらと辛い、というか眠い。
夜叉神峠から白根三山が見えた、と思ったらガスが出てきてすぐに見えなくなった。この日はこのあと晴れることは無かった。
そのせいで景色もなく代わり映えのしない単調な登山道を登り続ける。眠気が更に加速する。
薬師と観音の山頂もガスっていたので特に感想もない。
あと薬師でバイト先から電話がかかってきた。 10泊経つまで山から降りないと返した。
鳳凰小屋は1000円で高かったがテン場はいい感じだった。

2日目 9/8
台風接近の予報。
4時時点で風強く出発を遅らせて晴れ間の見えた6時に出発する。
稜線は小雨 地蔵に着くも湿っていて降りるとき怖そうなのでオベリスクは諦めた。
稜線を1時間程移動するが雨風が少しずつ強まってくるのを感じた。白鳳峠までくると雨風が強くなり、急いで下りに入ると沢から風が吹き上げる。すぐに樹林帯に入るのでそこまで危機感は無かった。
白鳳峠登山口まで降り、県道をひたすら歩く。県道は雨が強かったので途中のトンネルで休憩。晴れ間が出たところでまた歩き始める。
しかし道路を上がるに連れて雨の頻度が増す。
「1本休憩にしましょう!」って言った瞬間に雨が降り始めて土砂降りになった時は笑ってしまった。このちょくちょく土砂降りになる現象はテン場に着いても変わらずで割と辛かった。

3日目 9/9
翌朝は台風一過で星が見える。荷物を軽くして甲斐駒ヶ岳に向かう。日の出前に行動開始、仙水峠で日の出を迎える。とても綺麗。駒津峰まで急登もスイスイ登る。
山頂直下のルートは直登ルートを選択。一応破線ルートだがそこまでの危険は感じず楽しいルートだった。
山頂からは北岳・塩見岳がよく見えた。帰りは巻道ルートで降りる。(そもそも誤りのある)計画書の時間から遅れていたので急いで仙丈ケ岳に向かう。
登りで先頭を柴田から自分に交代。自分が調子乗ってペース上げたら上野がばてた。このとき自分は1時間600mアップいけそうとか考えていたので当然の結果ではある。
結局上野には仙丈小屋で待ってもらって6人でピークへ。ガスって北側しか展望がなかった。
気象に間に合うように元のテン場に下山した。

4日目 9/10
まず来た道を戻って広河原に向かう。
天気が良いので一昨日よりも車道は歩きやすかった。
白根御池小屋は、急な尾根を2時間近く登ったあとのトラバースの先にある。急坂に気を取られてトラバースを舐めてたら思いの外長くて大変だった。
白根御池小屋から稜線に出るまでの斜面も2時間近くかかって3000峰は伊達ではないなと思った。
稜線に出ると昨日まで登っていた鳳凰甲斐駒仙丈が見える。思いの外遠い。
「車道って偉大だね」と言ったら「は?車道は偉大なるクソ」と返されてしまった。
あと山ガール?女性が多かった印象。でも有名どころにしかいないけどね。
肩の小屋の無料の水場は100m下にあって遠いのでじゃんけんで負けた人に行かせた。

5日目 9/11
肩の小屋を4時に出て北岳山頂で日の出を待つ。しかし思いの外寒く、また期待通りの日の出は出ず。仕方なく歩き始める。でも稜線・間ノ岳に日光が当たってかっこよかった
間ノ岳では長めに休憩。聖から八ヶ岳 北アも見えた。間ノ岳の長い下りから農鳥小屋。小屋から農鳥岳は空身ピストン。
女の子からLINEの返信が来てテンションの上がった柴田がハイペースで飛ばすとコースタイムの半分ほどで到着。
白根三山の中で圧倒的に人が少ない。やはり農鳥岳は格落ちが否めないか?
農鳥岳から降り始めると上野の様子がおかしい。どうやら筋肉痛。登ってくる登山者に助けてもらうと、なんとか農鳥小屋まで戻る。小屋の主人に怒鳴られることはなかった。
ここで撤退の可能性を示唆。しばらく悩んだあと結局熊の平まで行くことにする。
長いトラバースを2.5時間かけて移動した。
途中上野のザックをダブルザックで運ぶことに。なんで背負うとみんな走り出すんだろう?
熊の平は綺麗なテン場だった。

6日目 9/12
ここで三伏峠小屋から上野を下ろすことに決定。熊の平から出発。1.5時間ほどで上野が装備を持てなくなり荷物を全員に分配する。北荒川までの縦走路はかなりなだらかで快調に進む。
塩見岳の登りはガレてる上に急で切り立った尾根を登るのでかなり高度感がある。
それでも狭いピーク立つと辺りの景色が一望できて感動した。塩見は遠くから見てもかっこいいが山頂からも格別だ。 ここで上野を下ろすべくタクシーの予約をとる。
塩見からの下りは上野のペースに合わせて慎重に落石しないように降りる。塩見小屋で休憩したのちは森林の中をひたすら進む。
意外とアップダウンがある。雲も出てきた。
目的地はかなり雲の集まる地形ではなかろうか?とか眺めながら感じていた。
三伏峠小屋に着く頃にはガスっていた。

7日目 9/13
2時半に起きると雨風が強い。
げんなりしながらも上野を下ろすべく行動開始。タクシーは鳥倉ゲートまでしか来れないのでそこまで約1000m降りる。
柴田先頭、上野を挟んで大森後方で上野のザックを背負う。車道に出たところで柴田がトイレに直行したので先にゲートに向かう。
概ねコースタイム通りに降りるとゲートにタクシーが来てたので上野を乗せる。
途中下山といえども6泊7日。よく頑張ってくれた。
柴田氏、遅れて到着する。間に合ってない。さすがウ○コマン。
雨の中辛い辛いと言いつつコースタイムを1時間程短縮してテン場に帰る。
6テント待機組は浸水して大変だったらしい。自分らのいた3テントも浸水していたが銀マットを重ねがけしていて助かっていた。
雨風が強くなりモチベが上がらない撤収作業。この時小屋の休憩所のお世話になった。
そして豪雨の中、高山裏避難小屋に向けて出発。尾根に吹き付ける風が強い。
途中広河内岳山頂でルートに迷うもコンパスを切ってしばらく進むと目印発見。
ハイマツと森林が神に見えるくらいに稜線の風が濡れたレイン越しの体に染みる。
元からコースタイムが短く到着先が避難小屋だったので行動を決行したが、長時間だと低体温症のリスクを背負うところだったと思う。
最終的に6時間のコースタイムを3時間半に縮めて避難小屋着。入った直後にレインとテントを干す。
ふと見回すと自分以外全員パンツ姿だった。
あとね、人が真面目に話してる時にチ○ポジは止めて欲しい。
やわらぎのスープの後のパスタがとても美味しかった。
秋雨前線もとい停滞前線が定着しそうなことを確認して、「明日もし星空が見えるようなことがあったら行動」とほぼ停滞を決めて寝る。

8日目 9/14
3時に起きると外は豪雨の音。即停滞を決める。 おやすみなさい。
8時頃に朝飯を食べるとそこからは暇つぶしタイム。避難小屋にあった2013年の登山雑誌の南ア特集を眺めたり過去の記録を眺める。
過去に渓友会が南ア百名山全山に2回挑戦して失敗したらしい。他にも渓友の記録が見つかる。うちはなかった。
電波が入ったので気象庁の予報天気図を見ると2日後に本州に高気圧が発生していてみんなで喜ぶ。というか発狂してた。
天気が安定し始めたのでテントとか外で干す
差し入れの酒を飲むと気分がいい。やはり多少荷物が重くなっても酒を持っていくのは悪くない。

9日目 9/15
1時起床2時発のところを雨の為30分程度遅らせた。昨日の喜びはなんだったのか。
最初のトラバースで何故か自分だけが転びまくる。そして前岳までの約500mの登りで暗い中道を見失いそうになりながらも進む。
前岳につくと風雨が一層酷くなり、中岳避難小屋に逃げ込む。そこで小屋のおじさんに「登山は自己責任だ」と釘を刺されつつも休憩させて頂いた。窓に風雨が吹き付ける中、小屋のおじさんから色々と話を伺う。
そうして6時前になると雨だけは止んだ。急いで小屋の外に出て防寒具を着こんで悪沢岳を取りに行く。
到着した時は一安心して涙目だった。寒いのであまり休憩も取らずに避難小屋まで戻る。
朝早くに入れてもらっただけでなく、荷物を置かせてもらった中岳避難小屋の管理人さん、本当にありがとうございました。
中岳をあとにすると荒川小屋、赤石岳稜線で休憩をとりハイペースで赤石岳山頂に到達した。
山頂で記念写真を撮り、赤石岳避難小屋へそこの管理人名物のハーモニカ演奏を聴く。景気付けにと演奏してくれたが悲しい曲だった。景気付け?
おばちゃんに別れを告げて百間洞山の家に向かう。なんか爆速で1時間足らずで小屋に到着。早い。この段階で正午前なので光岳への道のりを確実なものにするべく兎岳避難小屋に行くことに決定。水を補給して出発した。
大沢岳への登りに入るとそれまでのペースから一転。急にしんどくなった。中盛丸山、小兎岳を辛い辛いといいがら兎岳避難小屋に到着。
この時点で行動時間12時間半コースタイム16時間。流石にヘトヘトである。あと兎岳避難小屋はウサギ小屋だったよ…。

10日目 9/16
6時発の予定だがガスが深い。前日の反省から稜線での風雨を避けるために出発を見送る。
待つこと2時間。ガスが晴れてきたところで出発した。
聖岳の登りの途中までは茶臼まで見えるくらいには天気が良かった。しかし山頂に着くと雨は降らないもののガスと風が強く仙丈ケ岳以来のガスピークとなってしまった。
あと小林のズボンのバックルが閉められない問題が発生。試行錯誤してるが締まらない。
結局歩行にあまり支障がないようないし寒いので下山。例によって聖平小屋の分岐まで一気に降りる。
ここで小林のバックル問題に再挑戦。最終的に解決はしたのだが男5人で股間を弄ってるのはどうなんだ。
あとは茶臼岳小屋に向かう。があんまり記憶にない。思っていた以上にアップダウンがあって萎えたことくらいだろうか。

11日目 9/17
光岳へのピストン。
4時発だったがここまで来て合宿中に初めて月を見た。朧月夜とはこのことをいうんだろうな。
光岳までの縦走路は岩稜あり森林あり草原あり木道ありの充実したハイキングコースのようだった。
余裕を持って静高平で1本とっていざピークへ。余裕でしょ〜と思いきや光岳小屋過ぎの分岐で道を間違えてバリエーションルートへ。下り始めたところで気づいて引き返す。ダサい。
そしてやっと最後のピーク光岳へ到着。やはりというか展望はあまり無かった。というかそもそもガスってた。
他に人も居らず柴田の自撮りテクで記念撮影。
戻りは割愛。強いて言うなら無駄に長く感じた。
茶臼小屋まで戻って再度テン場の手続きを始めようとすると小屋のおじさんに呼び止められる。なんとおでんをくださるらしい。それだけでなくおいなりさんもくれた。小屋締めで食材が余ってるとのことだった。
急遽、夕食のパスタを13時に作り始める。パスタを食べ終えしばらくすると小屋の人におでんをとりにいらっしゃいと声がかかった。
おでんは色々な具と野菜が入って下界以上だった。静岡出身の中山(翔)が黒はんぺんで大歓喜していた。
軽量化された山飯の味に慣れきっていた我々にはあまりに眩しい味だった。
鍋を返しに小屋に向かうとそこのお姉さんから今度は朝食用の豚の角煮と鳥の照り焼きをくれた。しかもそのお姉さん南から南ア全山をしていて8日に地蔵付近で我々を見かけたらしい。
色々含めてなんかスゲェなという感想しか湧いてこなかった。

12日目 9/18
待ちに待った下山日。前日もらった肉とおじやでお腹を満たし出発。
雨だったこともあるが、茶臼小屋からの下りはかなり急で落石の危険性がかなり高いところだった。また吊り橋やハシゴ・木道が全体的にボロくて思わず「大丈夫かコレ?」って言いたくなるようなものだった。
雨脚が強くなりつつも何故かレインを着ずに歩くとついに畑薙大吊り橋が!
渡りきったところでついに下界到着である。
そこにいたタクシーの運ちゃんに励まされながらゲートに向かう。ゲートに着くとバスの待ち時間は2時間。片付けしながら待つ。
すると、客を運び終えた様子のさっきの運ちゃんが一言
「お前ら頑張ったな ご褒美だ」
なんと先の温泉まで運んで行ってくれるらしい。ありがたく乗せてもらうといっきに赤石温泉へ。
そこで余裕を持って入浴と昼食(全員カツ食べてた)をとり今度こそ毎日アルペン号に乗ったのだった。

総括
今回の合宿では軽量化した装備で長期間・長距離の山行を行う登山スタイルが功を奏したと思う。それは南アという水が多くコース難度の比較的低い地域にあっていたからだろう。
要するに乾燥野菜とフルグラは偉大。
あと個人的な感想として
元来、割と大雑把な性格なのでミスとか雑な部分をかなり他の2年にカバーしてもらった。ありがとう。
あと1年には途中で下山した上野を含めてもかなり有意義な合宿になったと思う。どういうかたちであれ、これからも頑張ってほしい。
あと特に合宿後半は色んな人に助けられた。毎度毎度本当に感謝の限りだ。
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9/8~9/12 夏合宿 大峯奥駆道

 2016-09-15
筆:武山
メンバー
CL・装備・気象:永井(B2)  SL・記録・食当:武山(B2)  食当・気象:石島(B1)・本間(B1)

行程
1日目(9/8)
【大岡山6:30→吉野11:30→金峰神社13:17…四寸岩山15:52…百丁茶屋17:00】

2日目(9/9)
【百丁茶屋4:10…五番関6:35…洞辻茶屋9:50…鐘掛岩10:40…西の覗11:05…大峯山寺11:50…小笹の宿14:30】

3日目(9/10)
【小笹の宿5:25…大普賢岳7:40…七曜岳10:30…行者還小屋12:30】

4日目(9/11)
【行者還小屋4:00…一ノ峠5:10…弥山7:30…八経ヶ岳9:40…楊子ヶ宿小屋14:00】

5日目(9/12)
【楊子ヶ宿小屋5:40…孔雀岳7:40…空鉢岳8:54…釈迦ヶ岳9:50…二つ岩12:44…前鬼14:20】



合宿内容
今回僕が参加したパーティーは、紀伊山地の修験道、大峯奥駈道を歩くものだ。つまり、吉野から熊野までを縦走する。ここはユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部であり、かなり宗教的な歴史のある道だ。
ここには「75の靡(ビ)」と呼ばれる修験場の場所が存在しており、山伏はここでほら貝を吹いたりお経を読んだりするらしい。
このように、普通の登山とはまた何か違う雰囲気のある山行になった。

-16日目
中村先輩、奈良パーティー離脱

-2日目
益田先輩、奈良パーティー離脱

1日目
あれ?メンバー少なくない??いずれにせよ合宿スタートである。11時に現地集合だったので、各々好きな方法で来る。
自分は時間がなかったので、新幹線と特急を使う。出発時刻は5時半なのだが、起床しスマホを見ると「6:30」。うーん、遅刻である。急いで出発し、謝罪LINEをする。そんなことしてたら反対行きの電車に乗っており、泣きそうになる。
そして、京都で新幹線を降りるとあることに気づいた。新幹線の切符・学生証・定期券・色んなポイントカードを入れたケースを新幹線内に置いてきた。絶望である。探してもらう時間もないので、泣く泣く約12000円を払い切符を再度購入をする。
ここまでで交通費3万円である。山登る前からメンタルと財布に多大なダメージをくらってしまう。これが修行の道、なんと厳しいのだろう。

すると今度はこの合宿のリーダーである深井先輩から、諸事情により合宿に行けないことをLINEで告げられる。
まさかの3年生全員辞退である。残ったメンバーは山の知識は比較的少ない人だけだ。これはマズイ。しかしここまで来たら山には行きたい。ということで、正直リーダーらしくない永井氏がリーダーとなり、2年生2人・1年生2人のパーティーとなった。非常に不安である。これも修行なのであろうか。

深井先輩の共装を受け取り、一行は出発した。今日は計画では、金峯神社から四寸岩山を取ってから百丁茶屋までである。


さらに出発と同時に熊鈴を持ってきていないことに気づく。またかよ。なぜかこの奈良パーティーは熊への意識が低い気がする。装備担当、頼むよ〜。
雨もわりと降っており、かなり不穏なスタートだったが、なんとか四寸岩山にたどり着く。しかし居心地のいい山頂ではなかったので、即座に小屋へ向かう。

ここまでで行動時間3時間程であったが、メンバーの石嶋がバテ始めていた。ペースが遅くなると日が暮れる。そこで予定の百丁茶屋の手前の小屋に泊まることを考えた。
そこにたどり着くと、どういうことか、小屋の外にはお墓のようなもの、中には仏壇のようなものがある。とても怖く、正直寝れるような場所ではないため、さすがにここには泊まれなかった。石嶋だけは「まぁ、これはこれでありなんじゃないですか?笑」とか言っていたけれど、バテておかしくなってしまったのだろうか。
ということで予定通りの百丁茶屋を目指す。「2万5千分の1の地形図」と「山と高原地図」を交互ににらめっこしながら進んでいくが、どちらの地図にも書いてない道が幾つかあったり、分岐がめちゃくちゃ多かったり、とても迷いそうになった。
暗くなるギリギリ前になんとか百丁茶屋小屋にたどり着く。恐る恐る扉を開けると、なんとも素晴らしい小屋が待っていた。いやぁ、ほんとよかった。

ここから晩飯だが、今年行ったすべての山行で、食当だけを担当し続けた自分としては、今回の合宿のご飯はちょっと考えた。なので食事について少しだけ詳しく書かさせていただきたい。
ちなみに今回の山行では、「フライパンで山ごはん」という本をかなり参考にさせてもらった。

今日の晩飯は「ネギ塩豚肉焼きそば」である。感想としては、麺は美味しいが肉がダメ。豚肉に塩を振って日持ちさせて持っていくのだが、やはり塩辛かった。今までも生肉に塩を振って持っていくことが多々あったが、塩辛くて不味くなるのでこれを境に「生肉に塩を振って持っていく」料理はやめようかと思う。

そして快適な小屋で就寝。

2日目
さて朝飯は「流水麺(そば・うどん)」。ガスも水も使わずに、麺つゆをかければ調理終了という最高の朝ごはんだ。唯一の欠点は少し重いことだろうか。安定の美味しさである。が、実は少し飽きてきていたりする。

さて、計画書によると今日の行動時間は11時間。昨日の時点でコースタイムよりも遅くなってしまうことが判明したので、12時間以上歩くことになる。そこで予定していた行者還小屋ではなく、手前の小笹の宿小屋を目標に歩くことにする。

出発して30分ほど歩くと、わりと最近土砂崩れしてそうな箇所があった。足を踏み入れたら砂や石ころがザザっと下に落ちていく。そのまま歩くと自分も流されそうで地味に怖いがなんとか通過。

五番関に着くと「女人結界」の門があった。大峯山では宗教上の理由で、女性はこの門より先に進んではいけない。しかし「女人結界門」の「女」が取れている。現代の性差別問題とかそういうやつなのかな。しかしこれでは人類皆入れない。気にしないで通過。
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そこから3時間歩き、洞辻茶屋に着く。いきなり銅像やわりと大きい茶屋が出てきて驚く。しかし山の上にどうやってこんな重たい銅像なり灯篭なりを持ってきたのだろうか。
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ここから大峯山寺まではかなり文明を感じた。ちょっとした商店街のような雰囲気があったり、山の上とは感じさせなかった。

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すると1人の登山客にすれ違う。事前に、女人結界内では「おまいり〜」が挨拶だと聞いていた私達だが、やはり最初はこちらから「おまいり〜」なんて言えないものである。とりあえず小声で「おまいり〜」とか言ってみると、その方は「こんにちは」と返してきた。あれ?話が違うぞ??次にすれ違った登山客も「こんにちは」の挨拶であった。あれれれれ??期待していたのに……。すると今度は何やら仏教っぽい服を着ている人に遭遇。「こんにちは」と普通に挨拶すると、「おまいり〜(大声)」と返ってきた。
おぉ、これが""ホンモノ""の「おまいり」…ありがてぇ……。これを機に我々も「おまいり〜」を使えるようになった。自信を持って次の登山客に「おまいり〜(大声)」とか言ってみると、「お、おう……」と返事が返ってくる。なんか恥ずかしかった。どうやら浸透していないようだ。

そんなこんなで大峯山寺手前の「西の覗」につく。どうやら日本三大荒行らしい(よく知らない)。健康に自信がない人や高所恐怖症の人はダメとのこと。そう言われると行きたくなるもんである。行ってみるとかなり良い景色が広がっていた。ちょっと下を見ればすぐ崖という個人的に最高にワクワクする場所だった(瑞垣山のような感じである)。

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そしてさらに進む途中、とある行者の方から「最近ここら辺熊出るからね、気ぃつけぇよ」と言われる。熊鈴を持ってきてないのを後悔した。特に永井は、合宿出発直前に福岡大学WV部のヒグマの事件についてのテレビを見たらしく非常に怖がっていた。

ちょっと歩くとついに世界遺産「大峰山寺」にたどり着く。山頂にあるとは思えないくらい大きな寺があった。しかしこのパーティーメンバーには仏教関係の知識を有する人が一人たりともおらず、寺の入り方さえままならない。とりあえず、お辞儀とかして入ってみた。中では売店があり、熊鈴を持ってきてないので、僕は鈴付きの開運のお守り(500円)を購入した。そこからすぐに山上ヶ岳の山頂なので、そこで休憩をとることに。中村先輩からのウィンナーの差し入れがとても美味しかった。

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そして今日の目標地点である小笹の宿小屋まで向かう。先ほど購入したお守りをトレッキングポールにつけて歩くも、悲しい程に鈴の音が鳴らない。熊避けにはならなさそうだ。なぜ音をしっかり確認せずに買ってしまったのだろうか。

大峯山を超えてからは一変して、宗教的な建物や像などは見なくなった。普通の登山道らしい登山道を歩いていき、2時間程して無事小笹の宿小屋に到着した。この小屋はあくまで修験者のためのものであり、僕らのような一般人向けではないらしい。一応泊まっても大丈夫なことにはなっているが、修験者の方がいらっしゃったらお譲りしなければならなかった。今回はいらっしゃらなかったので泊まることができた。ありがたや…ありがたや…。水場もすぐ近くにあり、快適である。

さて、今晩の夜飯は「キムチ鍋」だ。1年に米炊きを任せ、石嶋がそのリーダーになっていた。僕はキムチ鍋を作る。具材(豚肉・白菜・ニラ・長ネギ・高野豆腐・エノキ)をぶち込む時に気づいたが、量が多すぎる。ただでさえ量が多いのに、メンバーが減ったためさらに多くなってしまった…。そんなこんなしてると、米が炊けたらしいので少し食べてみる。ん!?!?!?美味すぎる。山で食べた中で過去最高に美味しいお米だった。キムチ鍋の味はまぁ普通であった。個人的に高野豆腐が苦手かも。
後片付けでは、米の入ってる鍋をこそぐ時に、本間がすべて残った米を食べ尽くし鍋こそぎの必要をなくすファインプレー。いいメンバーに恵まれている。
そんな間にリーダーの永井が明日の計画を必死に考えていて、なんか永井らしくなかった(褒め言葉)
永井がメンバーに明日の行動計画を伝え就寝する。

3日目
今朝のご飯は「コンビーフマフィン」である。ライ麦のマフィンに半熟の目玉焼き・少し焼いたコンビーフ・とろけるチーズを挟んで食べる。これが結構美味しかった。欠点としてはフライパンが1個だけなので効率が少々悪いことか。流水麺より個人的にこっちの方が好きだ。

さて、今日の計画は小笹の宿小屋を出発し、行者還避難小屋までである。コースタイムでなんと5時間ほど。ゆとりである。さらに昨日からずっと晴れており、とても気持ちの良いスタートになった。
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特に面白いこともなく2時間程歩き、大普賢岳に登頂する。かなり最後の傾斜が急だった分、山頂では遮るものがなくなり、かなりいい景色が広がっていた。ここで山田の差し入れのソルティライチをいただく。原液を買う時に、カルピスではなくソルティライチを買ってくるあたり、さすがだ。
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そしてそこから七曜岳へと向かう。七曜岳には少しだけ鎖場が多く、今回の合宿で登っていて1番楽しかった山だった。山頂に着き少し休んでると、逆側から山伏のような方々がゾロゾロと(45人ほど)登ってきた。最初に登ってきた5人ほどの人たちが山頂に着くとすぐにお経を読み、ほら貝を吹いていたりして、どこか異様な光景だった。
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あとはもう行者還小屋に向かうのみだ。途中すれ違った人に、「え、ここから行者還小屋?近くない?笑笑」みたいな感じで言われたが気にしてはいけない。
そして途中に何やら石碑を見つけた。まーーーーた仏教の何かか、と思ったがそれは違った。よく読むと大阪工業大学のワンゲルの部員がここで亡くなったらしい。さらによく読むと、何か僕らと重なるところが幾つもある。
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・「吉野より入山」
・「小笹の宿より弥山方面」
・「疲労困憊してる部員」
・「大阪"工業大学"と東京"工業大学"」
・「ワンダーフォーゲル部」

石嶋がバテるのとほぼ同時に行者還小屋に到着した。なんだかんだアップダウンがあったので、少しつらかったかもしれない。
小屋の中に入ると、さらに二部屋あるわ、部屋かなり広いわ、トイレが横に併設されてるわ、水道から水が出るわ、とても凄かった。過去最高の避難小屋であった。あまりにも快適すぎて「テントに泊まる人達可哀想だな笑笑」とか調子に乗っていた。

今晩の飯は「豚肉の塩麹漬け」と「焼き鳥缶のチキンライス」である。
まず前者から。一日目の晩飯とは違い、今回は「"塩"漬け」ではなく「"塩麹"漬け」である。この二つではまったく風味が異なり、塩麹に漬けてる方がよっぽど美味しい。ちゃんと日持ちもするので、ただ焼くだけなら塩麹漬けの方が良いかもしれない。今度は味噌漬けもやろうかな…
そして、もう一つの方のチキンライス。ご飯を炊き、ご飯・長ネギ・焼き鳥の缶(たれ味)を入れて炒めた後、ケチャップを足しながら炒める。石嶋の米炊きもまたもや成功し、その後もちゃんとやったので美味しかった。さらに卵とケチャップが少し余っていたので、少しだけオムライスにしたが絶品だった。個人的に今回1番美味しかったと思う。

夕飯を食べ終わり、明日の計画を考えるが、コースタイムで8時間のところを歩けるかどうかかなり議論された。しかし、歩かないと1日伸びてしまう…。結果、頑張って8時間(実際はもっとかかる)歩くことにした。

4日目
今朝の飯は「レーズン入りのフレンチトースト」である。レーズンパンにクーリッシュ(バニラ味)を染み込ませて焼くだけである。味は普通くらいか。美味しくもないしまずくもない。以降の山行では作らないだろう。

さて今日は行者還小屋から弥山・八経ヶ岳を通り、楊子ヶ宿小屋までである。八経ヶ岳は日本百名山であり(大峰山の山頂として)、今回の山行で最も標高が高い(1915m)である。そりゃあ関西最高峰だからそりゃそうか。
ここまで一気に登るのにかなり体力を必要とするので、石嶋がバテないか非常に心配だった。

早めの4時に出発し、ささっと一ノ峠を通り過ぎていく。途中ヤマドリっぽいのに出くわす。5、6羽くらいいて可愛かったが名前がわからない。君の名は。
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ここから本格的な登りである。熊避けとして、自分は音楽を鳴らしながら歩いていたが、石嶋のテンションを上げてもらうためにも選曲を石嶋にバトンタッチした。
石嶋'sスマホ「オーネガイ!シーンデレラ♡」
オタクソングが鳴り響く。するとどうだろう。見違えるほど速いスピードで石嶋が登っていくではありませんか。自分も石嶋に追い付くのが大変なくらい速かった。どこにそんな力を隠し持っていたのか。「オタクを怒らせると怖い」というのはこういう所にあるのだろう。私達はこの状態の石嶋を「いしじMAX」と名付けた。このネーミングセンスの無さに関しては名付け親の永井氏に責任がある。

しかしこのお陰でコースタイムより早く弥山を登ることができた。
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めちゃくちゃ時間があったので、どうせ余るペペロンチーノを作ることにした。オリーブオイルにニンニクチューブを二本分もぶちまけたが、普通に美味しい。
そして出発前に石嶋から、「小屋の人曰く、ここら辺で遭難者がいるらしい」という情報を聞く。

一時間半も弥山でゆっくりした後、ささっと 八経ヶ岳をとり楊子ヶ宿小屋へ向かう。八経ヶ岳までの途中、1人のおばさんとすれ違った。何やら俯いている様子だった。
30分ほどで八経ヶ岳に着いたが、正直百名山には見えなかった。晴れたら景色は良さそうである。休憩はここでは取らず先へと進む。
すると先頭の本間が、すれ違ったある1人のおじさんに声をかけられる。少し会話し去っていった。
5分ほど経つと本間が立ち止まる。何やら先ほどのおじさんは人を探してるらしい。あぁ、遭難者がいるという話はこれだったのか。さらに、60代のおばさんを探してるらしい。あれ、さっきすれ違ったおばさん……。そうか!?
その時点で1番鮮明に覚えていた石嶋が先ほどのおじさんのところへ情報を伝えに向かう。残る3人は待っていたが、石嶋が帰ってこない。遅いので僕も見た情報を伝えるのと様子を見るためにそちらへ行った。
結局八経ヶ岳まで戻ったらおじさんと石嶋がいて、石嶋が伝えていなさそうなことを僕も伝えておいた。どうやら探してる人と先ほどのおばさんは一致してたらしい。おじさんはどうやら関西学院大学の教授の方らしかった。とても感謝される。カルマが上昇した。

小屋まで向かっていると昨日購入した鈴付きのキーホルダーを紛失したことに気づく。開運のお守りだったのに無くすとは運がない。
そうして無事小屋までたどり着くことができた。昨日の時点ではかなり遅くに着くと予想していたが、なんだかんだ到着時刻は14時だった。

さて今晩の飯は「チャーハン」である。前回の山行でもチャーハンを作ったが、具材などすべて粉状のチャーハンの素みたいなやつを使い、とてもまずかった。なので、今回は卵・ピーマン・玉ねぎ・ベーコン・香味ペーストをちゃんと持って行って調理した。まず白米を例によって石嶋に頼んだが、これまためちゃくちゃ美味しい。それを素に作ったが、最高に美味しかった。この日も米の鍋はすべて本間が食べ尽くしてくれた。さらにフライパンはこそぐ必要がないので、ここまで1回も鍋こそぎをしていない。QOL爆上がりである。

5日目
まず朝飯は「りんごのパンケーキ」である。りんごを切り、パンケーキミックスとともに焼き上げるだけ。ヘラを持ってこなかったため、箸でひっくり返すが酷い。味はまぁまぁだった。パンケーキ自体の甘さがもう少し欲しかった。バターが恋しい。

さて、本来の合宿の計画では、熊野の方まで行く予定であったが、メンバーの体力や日程を考慮して、前鬼に下山することにした。
今日はここ楊子ヶ宿小屋から前鬼のテン場まで行く。そして明日、前鬼のテン場から前鬼口までの林道を歩き、そこからバス(1日朝7時半の1本のみ)で帰路へという形だ。

今日は釈迦ヶ岳だけがメインだろうか。山頂には大きなお釈迦様がいた。ほんとこれどうやって持ってきたんだ?
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山頂では今晩の夕飯の一つであったウィンナーを貪り食った。美味しい。

ここからは下山のみであり、天気も良くないためとてもつまらなかった。永井は道中にいるカエルに大興奮したり、髪のキューティクルを異様に気にしていたりしていた。

途中でストックに異変を感じる。見ると手首につけるようなバンドみたいな部分が壊れて取れてしまった。まさかお守りだけでなくこれもダメになってしまうとは。。。

もう下山ではあるが石嶋の足はもう限界が近づいていたようで、かなり疲れが見え始めていた。限界を迎えると同時にようやく前鬼の小屋に到着(ほぼ下山のようなもの)した。

さて、今合宿最初で最後のテント泊だ。テントを建てていると重大なことに気づく。テントのポールが足りない。
聞くところによると、前日準備でテントを建てなかったらしい。小屋に泊まれなかったらどうしてたんでしょう……。装備担当、頼むよ〜(2回目)

さて、どうしようか。泊まれない。しかし、すぐもう近くに道路がある。タクシーを近くまで呼んで、駅まで送ってもらうことにしよう。
そういうことで一行はタクシーで吉野まで帰っていった。。。(早く帰れることになったし結果的には良かったのかも)
その後は各々好きな方法で帰っていく。ちなみに今回の山行で筆者は軽く5万円以上は浪費した。修験道とか言いながら一番つらかったのは財布だったとは…。



感想
頼れる3年生が全員いなくなった中で夏合宿を遂行するのは多少なりとも怖かった。だが、メンバー一人一人頑張ってくれたお陰でなんとか無事終わらせることができてよかった。しかし準備の段階で足りない点がいくつかあったのは反省すべきところだ。また、音楽を鳴らすのを熊対策にするのは良くないと感じた。イヤホンをしていなくても、周りの声が聞こえづらい。やはり熊鈴だ。
個人的に山でのご飯のレベルが今回めちゃくちゃ高かったのはとても嬉しい。
あと、修験道という少し変わった道はもう少し歴史などの知識つけてから登った方がいいかもしれない。なにも分からなかった。
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